2018年10月15日月曜日

(メモ)ソフトバンク株の急落(2018年10月15日)

ブルームバーグ[1]やロイター[2]は、アドナン・カショーギ氏のであるジャーナリストのジャマル・カショーギ(Jamal Khashoggi)氏が在トルコ共和国サウジアラビア王国総領事館内で殺害されたとされる事件を受けて、ソフトバンク株が急落していると伝えている。2018年10月15日(月)の日経平均株価は、ソフトバンク(9983)やファーストリテイリング(9984)が、午前の寄付直後から大きく売り込まれ、これら値嵩株の影響を被り、下落した※1。これら2銘柄は、本日、とりわけ念入りに売り込まれ、指数プレイの出汁にされたといえるのではないか。

「サウジアラビア王国関係者が犯人だ」と言わんかのような殺人劇を通じて、サウジアラビア王国に対して汚名を被せ、トルコ共和国との過剰な緊張関係を生じさせ、その影響の名の下に、アメリカへの投資も宣言しているソフトバンク株を急落させることによって、誰が得をするのであろうか。ソフトバンクの株価そのものは、とんだとばっちりである。悪影響は、それのみに留まらない。同社株が、日本の株式証券市場を代表する銘柄であるためである。

サウジアラビア王国において、権力闘争があることは事実であろうが、これらの事件をあたかも同国を専らの犯人であるかのように報道することは、日本経済全体に対する重大な挑戦と了解することも可能である。ソフトバンク株の下落を受けて、値嵩株である日経平均株価が連動して下落すると、日経平均株価に連動するETFを通じて、日経平均採用銘柄全体の株価も低下する。サウジの権力闘争の実際を正確に知らせもせずに、ソフトバンクに対する不安感を煽るだけでは、単一銘柄の株価の不正操縦に留まらない波及効果が生み出されることになる。サウジアラビア王国に見られるようなネポティズムに係る報道は、誰と誰が組んでおり、権力を掌握しているのかの分析と、事件の真犯人と下手人が誰であるのかの追及までが併せられなければ、いたずらに投資家の不安を煽るだけに終わる。わが国でも、真のジャーナリズム魂を有した人物は、相応の危険に晒されている(が、申し訳ない表現ではあるが、株価に影響を与え、一国の経済を傾かせるまでのことはなかろう)。カショーギ氏の「保険」は、サウジ関係者の躊躇を生まなかったのか。他国の介入は、単に通信傍受のみなのか。これらの疑問が追求されてもいないという事実を鑑みれば、マスゴミの影響力は、総じて、悪い方向にしか機能しておらず、命を張る(ごく少数の)同業者や彼らの安全を軽んじているとしか言いようがない。


※1 『株探』のウェブサイト[3]から、日経平均の当日引け後の当該の寄与度上位5銘柄を下に示した。

コード銘柄寄与度
9983ファストリ -93.73
9984ソフトバンク -80.56
6367ダイキン -17.78
4543テルモ -16.3
4911資生堂 -10.11

[1] ソフトバンク株が急落、サウジ記者の行方不明問題への懸念増大 - Bloomberg
(古川有希・中村友治・Peter Elstrom、2018年10月15日14:42JST、更新日時 2018年10月15日19:47JST )
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-15/PGMIEH6S972801

今後のビジョン・ファンドに潜在的なリスク-アナリスト
孫氏、シリコンバレーで冷遇される可能性も-キングストン教授

[2] ソフトバンクG株が反落、サウジ記者不明問題で売り圧力
(記名なし、2018年10月15日09:44)
https://jp.reuters.com/article/softbank-stock-idJPKCN1MP014

「(記者の行方不明問題について)サウジ政府の関与の疑惑が出ており、株価もネガティブに反応している」(国内証券)との声

[3] 株探 | 株価注意報 - 日経平均の寄与度ランキング
(2018年10月15日16:00)
https://kabutan.jp/warning/?mode=8_1

2018年9月17日月曜日

(私事)何ということでしょう

私は、穏やかであった今日の午後、冒頭のこの一言を、どうしても発してみたくなってしまい、そのために、今年の5月、彼女のためだけに用意していたネタを公開してしまうことにした。私がかつて記した「標準的なリフォーム」費用とは、『劇的!ビフォーアフター』の全放送回リスト[1]を参考にしており、その平均値は、1346万円である。このデータを信用すれば(、そして否定する理由もないのだが)、(2018年9月)15日の『日本経済新聞』朝刊1面「首都圏 所得減のドーナツ/迫られる「脱・ベッドタウン」」に示されたような郊外地域のものであれば、中古住宅を購入した上で、なおかつ、上掲のサイトの平均価格を参考にしたリフォームも行えるものと判断したのである。作業に使用した『R』用のスクリプトを、本稿の末尾に示した。

このような唐突な行動に駆られた理由は、日本人男性という生物の「脱・ジェンダー化」には、パートナーや家族との、継続的かつ安定的な関係こそが必要であるという思いを、新たなものとしたからである。(ただし、この話は、またの機会にしよう。興味のある人は、例によって、ちょっとした手間を掛けるのが良かろう。)

最後に、付け加えておきたい;彼女と私の過去の複数回の出会いは、「何ということでしょう」と呼ぶほかない〈偶然〉のものとして、昨年より意識されて以来、私の前に立ちはだかり続けてきた。これらの〈偶然〉から、また彼女の人となりから(私の頭の中で)導かれた彼女の生き様は、手助けせずにはいられないものとして、私を無謀にも動かし続けてきた。今の私には、彼女の沈黙に耐えながら、彼女に背を向けることを潔しとすることはできない。かといって、ここから尻尾を巻いて退散するにせよ、私には、彼女からの言葉が欠かせない。お互いに別の道を行き続けることがお互いのためであると、面と向かって彼女が私に告げるなら、私も未練を断ち切ってくれたことについて、彼女に感謝しながら身を引くことができる。しかし今後、彼女がどのように生きるにしても、現在までの生き方を続けられる時期は、終わりにきている。それは、私たちが、お互いを東京に生きる匿名者としてではなく、名のある個人として認めてしまったからでもある。この点、彼女も〈偶然〉に翻弄されている。


高積雲が広がっていた空に、積層雲が厚く立ち込めてきた。読者には、ご理解いただけたことであろうが、私は、一段だけ、ギアを上げた。今回は、これでおしまい。


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               1200, 1100, 1400, 1500, 1700, 3300, 1100, 1800, 1000, 1700,
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length(my.ranks.2) - my.ranks.2[length(my.ranks.2)] # ○位


[1] 大改造!!劇的ビフォーアフター 【番組全放送リスト】
(2018年9月17日確認)
http://dgba.ehoh.net/DGBA_OAList.htm




2018(平成30)年9月17日21時訂正・追記

一部の文言を訂正、追記した。

2018年9月8日土曜日

(メモ)正義を自認する者にどこまでの嘘は許されるのか

#手抜きも良いところであるが、とりあえず公開する。【】は、段落を構成する要素として、成立しているであろうが、文としては、放置したままのものである。


一国の国民の安全を預かる者からすれば、単なる平和主義者は楽な立場だと、プーチン大統領は、オリバー・ストーン監督に語っている(。『オリバー・ストーン・オン・プーチン』〔pp.168-169〕、ここでは「親ロシア」という用語で説明されている)。平和主義者の国民の側に、「権力者とは、何をしてでも一国の安全を維持するという任務を背負うものであり、結果で判定されざるを得ない存在である」という認識があれば、平和主義者の国民と権力者との間には、権力者がプラトンのいう「哲人王」を目指す限りにおいて、共通の了解も生まれるのかも知れないとは思う。殺されることに甘んじて耐えるということは、普通の人間には可能なことではない。私からすれば、筋金入りの平和主義者の国民もまた、その領分に留ま(り、殺されることを覚悟す)る限りにおいて、(場合によっては、権力者よりも)偉大になり得る存在であるとは思うのであるが、この考えは、下々のものであって、甘いものなのだろうか。

話の枕としては、あまり適当な事例ではなかったが、私の考察の対象は、NHK『NHKスペシャル選 未解決事件File07』「警察庁長官狙撃事件」(2018年9月2日21時、8日(本日)16時~)において紹介された、青木五郎・警視庁公安部長によるオウム真理教を犯人として名指ししたことの理由である。この発言は、警察行政に対してかねてから批判的であった言論人や組織からの反発を大きく招くものとなった。これらの批判(を無料の本ブログで収集して取り上げる努力はしないが、それら)は、至極、妥当なものである。青木氏の発言は、推定無罪の原則などの刑事司法の基礎的な考え方を知る者なら誰でも、直ちに違和感を覚えることができるほどに踏み込んだものである。結局、東京都は、オウム真理教の後継団体であるアレフに裁判を起こされて、損害賠償まで支払うことになった

【概要の説明;警察庁長官の國松孝次氏が1995年に狙撃された事件。オウム真理教関係者が教団への捜査を攪乱するために起こしたものと見立てられた。ところが、中村泰という警察官殺害事件の犯人でもあるローン・ウルフ型の犯罪者が、刑務所で誰?に向かって告白した。これを受けて、警視庁公安部・刑事部は、捜査に着手するも、中村の自供に基づく拳銃を発見することはできなかった。大島行きフェリーから海中に投棄したとするため。青色のティップを持つホローポイント弾は、LAの貸倉庫に保管していたものの、借用期限がきたために処分され、銃砲店に売却された。中村は、接触を図ってきた弁護士に対して、決定的な何かを埋めた地点に係る資料を提供、撮影班は宝探し中とのこと。】

落ち着いて状況を考えてみても、青木氏の発言は、明らかに異常さが際立つものである。【常識から外れているのは二点。刑事司法の理念である推定無罪の原則に違背していること。時効にあたってとはいえ、注意喚起としてのタイミングがあまりに遅く、不合理なこと。】

この異常な状況ゆえに、合理的な精神を持つ批判者は、なぜ、青木氏がここまで発言したのか、という疑問にも至ることができる。【さすがに、キャリアの青木氏がここまで法律の常識を知らないとは言えまい。なぜ、オウム真理教にすべての責を負わせなければならなかったのか。】青木氏自身の「テロ事件の危険性を喚起し続けるため」という趣旨の発言は、彼の意図の全部を説明するものではないが、彼の意図すべてを把握しようと努力する際のヒントとして利用可能ではある。

青木発言の意図が、警察庁長官狙撃事件ほどの重大事件を一個の個人が起こせるだけの脆弱性がわが国に存在し続けてきているという事実から日本人の聞き手の注意を逸らすために仕組まれたものだと考えてみると、このお粗末過ぎる発言の理由にも、それなりの合理性を認めることができるようになる。青木氏は、あえて、近代社会の法理念に悖る迂闊さを全面的に押し出すことによって、日本の安全を維持するための汚れ役を一身に引き受けようとしたのではないか、とも考えることができる。しかし、青木氏の発言にもかかわらず、日本社会の安全性にぽっかりと開いた深淵は、残念ながらそのままである。たとえば、着の身着のまま、今年8月12日夜に(、この表現は、正確ではないかも知れないが)脱走した樋田淳也を、大阪府警察は、今に至るまで確保できていない。中村泰にせよ、樋田にせよ、これらの個人犯罪者たちは、彼ら犯罪者個人の目的に照らせば、今も警察を出し抜いたままである。また、彼らから発せられているメッセージは、およそ30万人を擁し、自賛するのも理解できなくはない水準の治安を実現しているはずのわが国の警察組織に対して、重大な疑義を突き付けるものとなってしまっている。

犯罪者の声明・犯行に対する警察のコメント、すなわち広報活動は、単に警察の体面を維持するという問題に留まらず対テロ戦争の一環でもある。重大事件を起こした犯罪者個人の目的が売名行為にあるとすれば、彼らの意図は、犯行を通じた一種のテロ活動と言える。これら犯罪者たちの目的は、汚名とマスメディアの(真実を世に広めるという建前の下での、実際のところは経済的な利潤を目的とする)下世話趣味とをテコとした「不死の名誉」とも言い換えられる。この機能を考慮すると、犯罪者なりの「名誉」と、それらを毀損するための行政府・司法機関の組織的活動と、それらの事件から教訓を引き出すという正当な犯罪予防活動との間には、緊張関係がある(犯罪者の実名報道(の是非)は、この緊張関係に含まれる、より一般の意識が向いている話題である)。この売名行為に対して不用意に共感的な言説を寄せることは、テロへの協力にもなりかねないし、非難に値することもあろう。この危険に対する私個人の研究者としてのかつての答えは、「大文字の物語」を構成しかねない(日本国民に大きな心的影響を与えうる)重大事件についての言及をわざと欠落させ、犯罪対策と個別の事件とを分離するというものであった(。「体感治安」は、この種の言説をまぜこぜにしてしまうという点で、諸刃の剣であった。この点、一般人でしかない今の私には、この種の縛りはない)。


なお、樋田淳也の逃走に関して指摘しておけば、全防犯カメラのネットワーク化およびその映像を利用した自動人物同定システムは、技術的な問題解決を必要とすることなく、十分に実装可能である。少なくとも、十分に多数の防犯カメラをネットワーク化し、自動認識システムに対して、常時、映像なり(容貌または歩容の)特徴量を送信すべき時が来ているという意見に対して、(光学、電気・機械・情報工学に含まれる種類の)技術は、十分に対応できる程度に成熟しきっている。問題は、社会実装に(のみ)ある。この主張を補強するため、憲法上の懸念を解決する上での最も有力な(私の考えた)方法論を提示しておく;それは、防犯カメラ単体の性能を向上させ、その製品の内部で、個体に係る特徴量までを計算し、その特徴量のみを送信するというものである。ワンチップといった「一体化していて製品から分離できない」部品によって、個人の容貌を(このように呼んでしまうことにするが)ハッシュ化してしまうことにより、カメラ本体内部で、データから個人への紐付けを防ぐ作業を完結できる。複数のデータ源から収集された同一個人に係るハッシュの同一性は、常に問題となるが、時空間上で近接するという基本を考慮すれば、十分な数の画像が複数のカメラから取得できている場合、大して問題にならない。社会的な課題は、このハッシュ計算を標準化する際に、利権が生じうることである。




2018(平成30)年9月8日22時30分追記

再現ドラマにおいて、小日向文世氏が演じる警視総監は、國村隼氏の演じる刑事に対して、「オウムを叩くことと真実を追求することのどちらが大事か」という趣旨の言葉を投げ掛ける。この台詞は、どちらかと言えば、当局の意向を汲んで、脚本家が採用したものと理解して良かろう。社会安全をタブー抜きで追究している(つもりの)人物からすれば、この台詞は、問題を矮小化してしまうという点で、社会に与える影響を限定化しているために、物足りなく感じてしまう。ただし、この台詞は、底が抜けていない分、これを真に受けてしまう愚かな同業者が出てくるのではないかとも危惧してしまう程度には、良く出来てもいる。あと、嘘と真実との割合について受刑中の中村が語る台詞は、実際の発言を下敷きにしたものであろうが、統計的な考察に欠ける。




2018(平成30)年9月9日1時43分訂正

一部の表現を改めた。




2018(平成30)年9月11日8時23分追記・訂正

一部の表現を改めて、淡い橙色で示したが、意図は変えていないつもりである。

なお、単なる疑問だが、時効成立当時の報道発表において、青木五郎氏は、沈黙を保つよう試みるという方法も取り得たのではなかろうか。しかしながら、記者は、当然、中村泰の話を聞こうとしたであろうし、現時点の私には確認する術がないが、聞いていたであろう。これらの記者の質問は、職務上期待される役割から当然に生じるものであるから、それ自体を止めることはできない。中村について聞かれたらノーコメントを貫くという方法は、取り得なかったのであろうか。こればかりは、複数人が知恵を出し合わないことには、何とも言えなさそうである。今の私は、私事ゆえに想像力が減退しており、マスコミの視聴者・読者に対して、中村が本ボシであったという印象を与えてしまったのではないか、としか結論できないが、この見解が正しいなら、青木氏の選び取った言葉は、一種のノリツッコミを心に秘めて発せられたものかも知れない。

2018年8月31日金曜日

(私事)失恋もまた「別れのないさよなら」かも

ポーリン・ボス氏は、ベトナム戦争で戦死したと認められるものの遺体が見つからない米軍兵士の遺族、認知症患者の介護家族といったような、近しい人の喪失・困難に対して継続的に向き合わざるを得なくなった人々を支援し、研究を続ける中で、「あいまいな喪失(ambiguous loss)」という概念を提唱し、その内実に「さよならのない別れ(leaving without goodbye)」「別れのないさよなら(goodbye without leaving)」という二種の類型があることを指摘した[1]。「さよならのない別れ」(タイプIの別れ)とは、親しい人が亡くなっていることが客観的には確実な一方で、遺体が見つからないために生者の側が死者に未練を残す状態を指し、「別れのないさよなら」(タイプIIの別れ)とは、親しい人が生きているものの、相手とのコミュニケーションが断絶してしまう状態を指す[1]。ボス氏による分類[2]を整理し直すと、

〔#タイプIの「あいまいな喪失」、悲惨で予期されないもの〕
  • 戦争(行方不明の兵士)
  • 自然災害(行方不明者)
  • 誘拐、人質、テロ
  • 監禁
  • 脱走、不可解な失踪
  • 身体が見つからない状況(殺人、飛行機事故など)
〔図1;p.12〕
があり[2]、ここに、東日本大震災の津波被害により行方不明となった方の遺族も含まれることが指摘されている[3]。また、タイプIIの状態の最も典型的な例は、認知症患者とその家族[4]であり、これを含めた事例には、
〔#タイプIIの「あいまいな喪失」、重篤な例〕
  • アルツハイマー病やその他の認知症
  • 慢性の精神障害
  • 依存症(アルコール、薬物、ギャンブルなど)
  • うつ病
  • 頭部外傷、脳外傷
  • 昏睡、意識不明
〔図1;p.12〕
がある[2]。より一般的な状況として示される場合のほとんどは、タイプIIに含まれようが、その事例には、
〔#タイプIIの「あいまいな喪失」、より一般的な状況〕
  • 移民、移住
  • 〔#↔〕ホームシック(移民/移住により)
  • 子どもを養子に出すこと、子どもが養子に出されること
  • 〔#↔〕子どもが養子となること
  • 離婚・再婚で親が子どもと別れること、離婚・再婚で子どもが実親と別れること
  • 〔#↔〕再婚により義理の子どもを得ること、親の再婚により子どもが義理の親を得ること
  • 転勤
  • 〔#↔〕ワーカホリック
  • 軍で派遣されること
  • 青年が家を離れて自立すること
  • 〔#↔〕コンピュータ・ゲームやインターネット、テレビへの過剰な熱中
  • 高齢の配偶者がケア施設へ入所すること
〔図1;p.12〕
がある[2]。最近読んだもののメモ代わりであるが、A・M・ナイル, (1983=2008). 『知られざるインド独立闘争 A・M・ナイル回想録』(新版), 風濤社.には、インド・ケララ州出身のナイル氏が、英国からの独立闘争に深く関与していたために、故郷に戻ることができず、老母との連絡も十分に取れない様子が記されており、ナイル氏の体験も「あいまいな喪失」の一事例に含まれるとも言えよう。


#上記引用は、転記にあたり、改変が過ぎるかも知れない。念のため。


なお、「あいまいな喪失」は、家族(遺族の置かれた継続的な環境下で生じた、家族(遺族の心の状態を表す用語である。この状態は、精神疾患ではない[4]。それがために、しばしば、家族(遺族は、サポートされるべき対象ではないと見逃され、喪失から「立ち直る」ようにと強いられてきた、とボス氏は指摘する[4]

おそらく、恋する相手から拒絶されたままの(私のような)個人もまた、先に紹介したような重篤な事例や崇高な事例に及ぶべくもないが、「別れのないさよなら」の範疇の隅っこに含めても良いのであろう※1。相思相愛の相手や家族とのコミュニケーションを失いつつある人々は、私よりも、段違いに悲しみ苦しんでいようし、周囲からの同情と共感に値しよう。けれども、現時点の私の苦しみも、私の慕う人が自らの意思で私を拒絶していることから生じているために、原因こそ全く異なるが、返事を求めても得られないという点については、タイプIIの別れと共通するのではないか。他者にとって、たかが失恋かも知れないが、色々な理由こそあれども、体脂肪率が9%程度落ちた程であるから、私の悲嘆は、「別れのないさよなら」の最もマイルドなものとしても良いだけの資格があろう。私の失恋ダイエットを主張の根拠に据えるのは、冗談が過ぎるとしても、原因が継続している「両義的な状態」は、私の状況にも共通する。愛する人が認知症に罹ったとすれば、私は、一体どうなってしまうのか、今からでも(、愛する人が傍にいてくれる訳でもないのに)、心配になってしまう。なお、

Goodbye without reason is the most painful one. Love without reason is the most beautiful one.(理由のないさよならは、もっとも心痛むものだ。理由のない愛は、もっとも美しいものだ。)
という詠み人知らずのミーム(金言)は、インターネット上では、それなりにポピュラーなようであるが、恋愛を指すものとして受け取られていて、ここでの私の主張を補強してくれるものであるとは言えよう(。5分ほどググってみたが、誰が詠んだのかは分からず仕舞いである)。


私は、かろうじて今も、お慕いする人からの連絡を、待ち続けていることができてはいる。三か月前からの私の願いは、受け入れられていないが、私のメッセージそのものは、思い人には届いている。私の願いは、かの人の心に確実な気付きをもたらしたはずであるし、変容をもたらし続けているはずである。ただ、私は、現在の苦しみに早晩耐えられなくなるという自覚を有してもいる。そうである以上、私の申出は、不定ではあるが、期日が設けられたものである。それゆえに、問題は、私がどれだけ今の状態のまま、自身の精神を、たとえ最低限の状態であるにしても、保持し続けられるかである(。あるいは、どれだけ潔く、未練を断ち切ることができるかである)。


※1 怠惰ゆえに、同種の考えがすでに表明されているか否かを確認していない。が、『認知症の人を愛すること』の訳[4]が素晴らしく柔らかいので、その正確性を信じることにすると、

〔p.6〕ふだんでも、私たちが愛する人たちと離れる事はよくあります。〔…略…〕現代のモバイル社会において、私たちのほとんどは、愛する人たちと多くの時間離れたままです。それにもかかわらず、現代の家族は、身体と心が同時に同じ場所にないことに、うまく対応しているように見えます。望めばいつでもまた一緒にいられるとわかっているからでしょうか。認知症の場合と違い、この手の喪失は、取り戻すことができるものです。〔…略…〕

恋人同士や家族が身体も心も完全に同じ場所に置くのはまれだと気づくと、分離と距離というものの(あい)(まい)さを抱えて暮らし、何とかやっていくための何らかのすべを、私たちのほとんどは備えているとわかることでしょう。この前段階の経験が、違いがあるとはいえ、認知症を患っている愛する人とどう生き延びて〔p.7〕よいかを探る手助けとなります。

(ボス(2011=2014)『認知症の人を愛すること』)
とあるから、やはり、失恋の悲しみも、「あいまいな喪失」の周縁に位置付けられると主張することはできよう。


[1] Boss, P., (1999). Ambiguous Loss: Learning to Live with Unresolved Grief, Harvard University Press.
(ポーリン・ボス〔著〕, 南山浩二〔訳〕, (2000=2005.4). 『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」:あいまいな喪失』, 東京: 学文社.)
http://id.ndl.go.jp/bib/000007706830
#リンクは、国会図書館の和訳本。

[2] ポーリン・ボス〔著〕, 中島聡美・石井千賀子〔監訳〕,(2015.2). 『あいまいな喪失とトラウマからの回復 家族とコミュニティのレジリエンス』, 東京: 誠信書房.
http://id.ndl.go.jp/bib/026149473

[3] 中島聡美・山下和彦, 「福島におけるあいまいな喪失」, 前田正治〔編著〕, (2018.6).『福島原発事故がもたらしたもの 被災地のメンタルヘルスに何が起きているのか』, 東京: 誠信書房.
http://id.ndl.go.jp/bib/029000937

[4] ポーリン・ボス〔著〕, 和田秀樹〔監訳〕, 森村里美〔訳〕, (2011=2014). 『認知症の人を愛すること 曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために』, 東京: 誠信書房.
http://id.ndl.go.jp/bib/025454865




2018(平静30)年9月6日訂正

一部を訂正した。

2018年8月23日木曜日

(一言)ジェンダー論を利用したマウンティング

は、言説者が、異性愛秩序(heterosexual order)を至当とする当人の先入観を意識していないからこそ、表れてしまうものかも知れない。成人後の私の勉強は、常に泥縄なので、上野千鶴子『〈おんな〉の思想』のイヴ・K・セジウィック評によって、異性愛秩序という言葉をようやく理解し、拙稿(2018年08月05日)で言及した

〔…略…〕その「遊び」で容易に想像できる展開でありがちな「女遊び」は、わが国における社会構造を強化・維持し、遊ぶ側にも、遊ばれた側にも、男尊女卑の心性を植え付け・肯定し・強化することになろう。〔…略…〕
と考えた内容が(恥ずべきレベルの)既出概念であったことを、遅ればせながら知った。また、同稿で言及した小島慶子・田中俊之, (2016年06月10日). 『不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか』(祥伝社新書467).についても、著者らが、旧来的なホモソーシャルに対する意識こそあれども、自身の中になお残存する異性愛秩序のあり方に意識的でないがゆえに、性愛の多様性に対して、自身の評価に基づく優劣を無意識に下しているものと、パラフレーズし直せよう。

#上野書については、私自身の貧困な経験から付け加えることもあるが、神奈川県央地域だと、ご覧に入れられるだけの文章を記そうと思うと、今一度、複数の公共図書館を巡らないといけないという不具合があるので、またの機会にしたい。

2018年8月11日土曜日

(メモ・一言)トルコリラ大下げ・台風13号

ポジショントークになる事を承知で記しておくが、トルコリラが大下げしており、エルドアン大統領再選後、しばらく20~22円台を保っていたところ、9日に19円台、10日に17円台まで下げた[1]。レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)に寄稿[2]し、現在の非対称的な関係を改めなければ、トルコが新たな友人を求めなければならなくなると警告している(が、掲載先がNYTになること自体、真に捻れた状況である)。ところで、日本の右翼は、常々、トルコを親日国と呼んできたが、困った時の友こそ、真の友ではないのか。私のような左翼がかった発言をなすことのあるリベラルでさえも、リラ建て債に一段目に下げた時に突っ込んだのに?などと思ってしまう。米国株にまで影響する(ということは、間違いなく、日本株にも影響する)との評価もあるのに、なぜ、ここまで売り込まれるリラの防衛役を買って出ないのだろうか。

エルドアン氏の再選後、しばらくリラが小康状態を保っていたこと、この状態に至ってもエルドアン氏が強硬姿勢を貫ける理由は、昨年9月、ロシアのミサイル防衛システムを導入配備した[3]ことにより、安全保障上の懸念なく自国の利益を主張出来るようになっていたことにもあると認められよう。エルドアン氏は、売りを仕掛けた金融勢力と連携する軍事力に対抗可能であるという自信を持つからこそ、強行姿勢を継続できているのであろう。ここまで売り込まれる可能性は、一応、懸念されていたことではある。それに、例のごとく、ここでの経済的緊張が、多くの政治上の高位の人物を巻き込んだ国際的な大仕掛けによるものであるとも考えられる。シリアという隣国の存在を考慮すれば、この売り仕掛けは、当然に、戦争屋の相乗りまで織り込まれているはずであろう。このような通貨戦争において、個人の端金など、存在しないに等しいが、わが国の政府が国レベルで(口先だけでも)介入した場合、中東地域のバランサー役として機能してきたトルコに対して、窮地に手を差し伸べたことになろう。代わりに、トランプ大統領の矛先を引き受けることにもなりかねないのであるが、仮に、この急落が一種の八百長である場合には、このような動きは、全然問題ないことにもなろう。エルドアン氏がNYTを寄稿先として選択したことも、注目されて良かろう。自由奔放に見えるトランプ氏を宥める役として、トランプ氏から批判されがちなNYTが選択されたという訳である。


台風13号は、絶妙なコース取りで、関東地方や東北地方にではなく、海上に大雨を降らせながら太平洋を北上していった(気象庁の過去の台風情報には、8月11日現在、未掲載)が、このコース取りが何を意味するものか、私には、全然分からない。ただ、私のように、気象操作を平気で攻撃に利用する連中が、日本の国土に対して攻撃を試みようとしていた、と解釈する場合、(1)何らかの理由によって今回は攻撃を手控えた、(2)ほかの主体による防衛行動があった、の2通りの理由を挙げることができよう。首都圏の停滞は、地方へのダメージとは異なり、経済活動を停滞させることで、日本株市場の全体の下落を招きうる。いくら惨事便乗型資本主義といえども、どれだけの財政出動が見込まれるのかが明らかにされない中では、攻撃しても仕方ないと見送られたのであろうか。この結果かどうかは知らないが、結局、建設株は、第一四半期の業績にかかわらず、総じて軟調である。その後の平成30年7月豪雨被害にもかかわらず、である。防災をイチオシしている飛島建設も、直近の決算が好調と見えたにもかかわらず、最近の安値から戻しきれていない。国内産業であるにもかかわらず、また、(今後大量供給されるであろう海外からの建設作業員にとって魅力的になる)円高であるにもかかわらずである。全く、私には理解できないし、懐の痛いことである。


おまけ・多少のネタバレ注意;スロバキアで、警告を受けたにもかかわらず、隣人への嫌がらせとして『椿姫(La Traviata)』の『乾杯の歌』を流し続けて収監されたという女性がいるとのニュースに接した[4]。BBCのポッドキャストで知ったことであるが、直リンがないので、該当するニュースのリンクをBBCのサイトで示しておく[5]。わが国では、類似事件がニュースになる場合にも、オリジナリティ(溢れる才能)が求められる。わが国は、女性にとって、何と生きにくい国なのであろうか。なお、『椿姫』のパーティのような場面に接するにつけ、私は、栗本薫氏の『グイン・サーガ』シリーズの登場人物の一人であるアルド・ナリスを想起してしまう。この人物造型の一側面が光源氏の「中原(グイン・サーガの舞台)」版であることは、まあ正しかろう。ミュージカル『ラ・マンチャの男』は、『椿姫』のハッピーエンド版であるという側面を有しよう。これらの作品についての知識や親しんだ経験は、他者の恋愛を追体験したことにはなってはいるが、個人的な悩みの解決には、ほとんど役立ってはいない。


[1] TRY JPY 過去データ - Investing.com
(2018年08月11日確認)
https://jp.investing.com/currencies/try-jpy-historical-data
#公的データからは、USD/JPYとTRY/USDとの組などのデータが必要。

[2] Opinion | Erdogan: How Turkey Sees the Crisis With the U.S. - The New York Times
(Recep Tayyip Erdogan、2018年08月10日)
https://www.nytimes.com/2018/08/10/opinion/turkey-erdogan-trump-crisis-sanctions.html

[3] トルコ、ロシアからミサイル購入へ 両国接近、米は懸念:朝日新聞デジタル
(イスタンブール=其山史晃、モスクワ=中川仁樹、2017年9月13日10時47分)
https://www.asahi.com/articles/ASK9F02DGK9DUHBI048.html

[4] Woman detained in Slovakia for playing Verdi for 16 years - BBC News
(News from Elsewhere as found by BBC Monitoring、2018年08月09日)
https://www.bbc.co.uk/news/blogs-news-from-elsewhere-45127006

[5] Silence finally? The owner of the “opera house” in Štúrovo detained - spectator.sme.sk
(Compiled by Spectator staff、2018年08月07日12:47)
https://spectator.sme.sk/c/20886920/silence-finally-the-owner-of-the-opera-house-in-sturovo-detained.html

2018年8月7日火曜日

(私事)日々の思いは失われるばかり

日が経つにつれて、私は、大切に思う人に向けて綴ることのできる新しい言葉を徐々に失いつつある。思いを伝えたい相手と日々の経験を共有できていなければ、誰しも、それまでの相手との交流だけを手掛かりに、相手に届くように言葉を編んでみて、放つほかない。コミュ障で生活の起伏に乏しい私であっても、相手が私の言葉に耳を傾けてくれて、返事を与えてくれるのであれば、どうにか自身の葛藤と日々の生活を、次なる言葉へと紡ぎ続けることができる。しかし、沈黙を前にしてしまうと、私は、以前から変化のない心中を繰り返すことを躊躇い、思いを伝えようとする努力をも放棄してしまいそうになる。

私は、かの人からの返事を近い内に受け取れるものと信じようとしながらも、更なる呼び掛けの言葉を紡ぐことができないでいる。私が思いを打ち明けてから2か月と2週間が過ぎたけれども、かの人は、私の与えた傷から立ち直れたのであろうか。これ以上、どのように何を記せば、今更ながらの話し合いに応じてもらえるのか。私がここに残す言葉は、かの人にとって、背中を押す力になるのか、かの人を傷付けるだけに終わるのか。私は、これらの疑問に捕らわれてしまうだけで、その先にある対話への願いを、かの人に響くものに仕上がったと自負できるまでに縒り合わせて投げ掛けることができないでいる。

私は、かの人からの助言に感謝するために直接対面したいと願いながらも、自分からは踏み出せないでいる。かの人からの助言は、今の私にとって、宝物でもあり、一人で生きる上での呪いでもある。しかしながら、私は、かの人の助言に従い、傍目にも分かるほど、自らの生活を高めることに成功している。私は、かの人に対して、あなたが現実に対して善き力を及ぼすことができると、自らを以て実例として伝え、感謝したいと願う。私自身の努力は、かの人との思い出を補助線にしてきたからこそ、継続できたものである。しかし、日本語論壇の最果ての地にあるとはいえども、本ブログのような公開の場では、自ずから制限があり、詳細を記すことは適わない。また、前稿(2018年08月05日)にも記したとおり、私から押しかけることは、望まない展開を生むことになりかねず、私は、待つほかない。

手紙を認めた時には、多くの時間を掛けてもまとめかねる程の伝えたい話があった。しかし、今の私には、それらの話の続きをプライベートで伝える術もなく、日々の思いは失われていく一方である。精神の働きに緩みが生じたときには、かの人への思いが必ず湧き上がる。けれども、思いを全て書き留める訳にもいかず、私は、大切なはずの人への思いの大半を、失うに任せている。そうして私は、かの人と話をしたいという願いを叶えることもできないまま、浮かび流れる記憶を無くし続けている(。かの人や読者諸賢が、本ブログを少しなりとも後追いして下さっているのなら、ここで、私が『はてしない物語』を参照していることに気が付かれたかも知れない)。

私は今でも、見聞きする全てのものに、かの人の影を読み込んでしまい、その度に、立ち止まってしまう。私は、他者と思しき恋愛の苦しみを読むにつけても、かの人の今までの沈黙の理由を考えてしまう。私をこの上なく嫌うがゆえに罰するためなのか、あと一歩の勇気を持てないからなのか、何と切り出せば良いか分かりかねているだけなのかと、私たち自身の関係に引き寄せてしまう。その上で、私は、ただ名前を呼んで欲しい、近々会うための約束をして欲しい、と願いながらも、それ以上にできることもなく、考えを打ち切ることしかできないでいる。

どうか、会って、話をして欲しい。たとえ、その話し合いの結果、別れることを私たちが選ぶとしても。この願いは、先の手紙にも記したとおりであり、この点、私の気持ちは変わっていない。しかしながら、手紙に記した決意よりも遙かに早く、私の忍耐は磨り減ってしまっている。私は、立派に生きる(、たとえ一人で生きざるを得ないとしても)という、自分で決意して表明したはずの約束を、自分では守れなくなりつつある。