2017年3月28日火曜日

神はサイコロを振らない(ので重大事件も本当なら決定論で説明可能である)

佐藤優氏の論考には、しばしば、「民族や国家にも運・不運がある」という表現が見られるが、私は、この表現を「制限時間内には分析しきれないほどの複雑な関係を内に含むブラックボックス」であるとして解釈することにしている。孫崎享氏と佐藤氏は、各々の著書を通じて密かに批判の応酬を繰り広げているようである。孫崎氏が佐藤氏に向けて著書に暗に秘めたかの批判は、私が佐藤氏の表現を先のように解釈することについて、一定の論拠を与えてくれるものである。このように、私は孫崎氏の話を自身に都合良く解釈している。

佐藤氏の『日米開戦の真実』(2006年7月, 小学館)は、大川周明氏の二本の論説に解説を加えるという構成を取る書籍であるが、現に、わが国の地政学上の位置を指して冒頭の表現を指摘する(p.6)。この指摘そのものは、その通りである。少なくとも、地政学という一種のモデルにおいて、地理は、所与の条件である。しかし、孫崎氏の『日米開戦の正体』(2015年5月, 祥伝社)は、多数の自叙伝や日記等を通じて、日本が対米宣戦布告するまでの過程において、わが国においても、政策決定に影響を及ぼしうる者の中に開戦を避けようとする議論が多く見られたことを指摘する。日露戦争以後、満州における権益を不当に拡大しようとした軍部が、戦術的には大成功ではあるが長期的には大きな問題を引き起こすような謀略・工作を実施してしまい、対米戦争を避けようとする外交活動に制約が生まれる。この積み重ね・繰り返しが、日本を満州へ、次いで全中国へ、最後には南方へと出兵させる動因となる。このような解釈を可能とする材料を、孫崎氏は提示している(。そう私は読んだ)。

他方、孫崎氏の『日米開戦の正体』の構成は、氏の解釈に基づき、その折々のターニングポイントを提示し、何が欠落していたのかを考察するものであり、その体裁は、フローチャートを頭の中に彷彿とさせるものである。(怠け者なので、実際に作成するのは、長生きできたらにしたい。)誤解なきように明記するが、佐藤氏によって解説される大川周明氏の論説は、両方とも、当否は措くとして、十分に因果関係を追える内容である。佐藤氏の解説においても、すべてを運・不運として片付けている訳ではないことは、当然過ぎるほどである。しかし、孫崎氏の主張には、アメリカが満州における権益を主張したのは、偶然というよりも計算の上であるという主張が込められている。私の穿ち読みによれば、あたかも、孫崎氏の記述は、佐藤氏の指摘するように、大平洋を挟み日米両国が位置するという地理的側面が偶然であるにしても、その地理への対処の仕方には、その時々における選択肢が少ないながらも存在し、その時々の選択を経た上での複数の展開があり得た、と主張するかのようである。この読後感が「実際には細小で多数のコミュニケーションの積み上げが決定論的に作用しているが、歴史を後から巨視的にみれば、その過程は、全体的には運としか表現しようのないブラックボックスとしてしか把握することができない」といった、冒頭の印象につながってしまうのである。

システム思考は、分からなければ、かつ、問題が起きなければ、「処理」の部分はブラックボックスでかまわないとする思想でもある。実際のところ、歴史を、すべての人々の全思考・行動の過程ならびにそれらの行動の相互作用の帰結であると定義すると、歴史の全体を細部まで把握することなど、人間には無理なことである。観察が不可能であるためである。だから、観察者である人間は、どこかで観察を省略し、足らざる部分を何らかの方法で補完し、全体像を把握しようとする。その補われる程度が、解釈の当否にも深浅にも影響する。その程度問題こそが人間の批評精神の発揮されうる場でもある。実際のキャリアにおける確執は置いておいて、その違いが、佐藤氏と孫崎氏のスタンスにも現れているように思われてしまうのである。両名ともが論壇で活躍できることは、日本語環境において、インテリジェンスという分野の考察を行う上での好条件である、というのが本稿のオチである。

題名は、アルバート・アインシュタイン氏による、論争を引き起こした言であるが、本稿に紹介した密かな応酬にこそ相応しいと考えたために採用した次第である。

2017年3月27日月曜日

生存曲線の裏側には被害者の状態に対する暗黙の仮定が潜む

#痛ましい事件・事故の報道が多くなされている。本稿ではそれらの事件を想起させる内容を取扱うが、個々の事件・事故を取扱うことはしない。あくまで、報道関係者が正確に事物を理解できるよう、記述した内容である。正しい報道は、本来、多数の人々の見識を鍛え、今後において、同様の事件・事故の予防に資するはずである。本稿がそのための手段として機能することを願う。なお、この考えは、本稿に限らず、取扱う話題や一見した印象にかかわらず、本ブログにおける目的のひとつを構成している。

被害者発見までの事前所要時間が伸びると被害者の生存率が下がるという主張は、災害の被害者については、根拠がある。人間は、30秒間脳への酸素供給が制限されたり、(周囲の温度にもよるが、分の単位で)体温を維持できなかったり、72時間水を摂取できなかったりすると生命への危険が生じることから、それぞれのタイムリミットまでの間に、できるだけ早期に被害者を救出するなどして、それぞれの条件を満たすことは、被害者の生存に不可欠である。災害に係る生存曲線(survival curve)は、災害の被害者が生命の危険に直結する状態に置かれているとき、被害者の生存中に救出するための時限の目安を示す関数である。救出に要する時間を横軸(x軸)に、生存確率を縦軸に置く形で表現される。

災害発生後、72時間に救出のための資源を集中することが肝要となる。災害時、身動きのできない被害者の生存は、主に水の摂取が可能ではないという状態に掛かるためである。この間に救出隊員と装備を揃えることは、救出の要件であることから、救出までのリードタイムの短縮、資源の集中に努力が傾注されている。

#ふつうの日本人なら、自衛隊員までを含めた士業が災害対応に最大限に関与することは、当然視・賛成することであろうが、資源の適正配置という観点からは、災害の規模によっては、かなり大きなジレンマを生じることにもなる話である。人は、24時間起床していると、大幅に集中力を減じる。国際社会は、必ずしも災害につけ込まない国だけで構成されている訳ではないのである。つけ込まれないためにも、政府には的確な情報公開が必要となる。

大事なのは、生存曲線が業務改善のためのツールである、ということである。科学的な方法論で組み立てられてはいるものの、適用して良い場面には自ずから限界がある。この点に視聴者は注意しなければ、ありもしない因果関係を生存曲線の説明に読み込んでしまうことになる。その誤りが端的に表れるのが、誘拐犯罪についての生存曲線である。

誘拐犯罪の被害者についての生存曲線を作成することは、災害よりも困難であるし、進行中の事件の方向性をつかむ努力を怠ったままに既存の生存曲線を漫然と利用することは、戒められるべきである。念のため申し添えておくと、災害に係る生存曲線についても、被害者の捜索の打ち切りを考慮したり、行方不明者や他人に知られぬままに遭難する人物が生じることを考慮すれば、いずれかの方向に偏りを有するとしてもおかしくはない。それに、被害者の生存状態は、災害の進行に応じて大きく左右される。ただ、誘拐犯罪の被害者は、その態様や犯人の目的によって、生存しやすい状態に置かれて監禁されているのか、すでに殺されているのか、といった状態の異なり方が大きく、しかも、その状態は、事件の些細な推移によっても、災害以上に大きな影響を受ける。このため、誘拐犯罪の生存曲線は、事件の特徴を把握できないときに誘拐事件全体の傾向から得られたものを用いることがやむを得ないとしても、事件の性格を明らかにするよう努め、事件の性格に合致した生存曲線に置き換える必要がある。

この指摘を納得できない者は、生存曲線に潜む仮定である因果関係を密かに逆転させているという誤解を犯しているかも知れない。この誤解は、極端な状態では、誰でも「そりゃそうだ」と思えるものになる。それは、誘拐事件の被害者の発見時間をゼロに近付けることで、被害者の生存を最大化することができるという誤解である。因果関係の把握に努めぬままに生存曲線の示す数字を盲信する者は、結果から原因を推定するという条件付き確率※1の考え方に拠って生存曲線が制作されている、という基本的な仕組みを理解していないのである。もっとも、ここで生じている誤解は、犯罪を取扱う専門家にも散見される性質のものである。

この誤解は、本日(2017年3月27日19:00~)、テレビ朝日系で放映されていた世界のテレビ番組を紹介するという番組『トリハダスクープ映像100科ジテン 衝撃の実録映像3時間スペシャル』のうち、トルコ共和国で女性司会者が誘拐の被害者を追うというリアリティ番組において、端的に示されていた。事件発生後72時間が経過したとして司会者が焦っていた、なぜならば72時間後の生存率は4割を切るからだといった具合でナレーションが当てられていたが、この焦り自体は、何ら意味のないものである。事件の状況を把握するために必要な資源が投入されていたならば、生存曲線を前提とした焦りは不要である。司会者の焦りは、司会者の生存曲線に対する誤解に基づくものなのである。なお、このナレーションは、翻訳したものであろうと推認できたことも、申し添えておく。


なお、本日のテレビ朝日のCMには、森永製菓のCMがこれでもかとヘビーローテーションで放映されていた。森友疑惑が追及されている現在、理解できることとはいえ、これらのCMと引換えに、報道すべき内容が削られるとすれば、そこに脅迫罪の成立する余地があるように見えるのは、私だけであろうか。


※1 上掲の「条件付き確率」という表現では、正確さに欠くかも知れない。より厳密に記すよう努めれば、次の一文のようになろうか。「司法機関等の収集した、収集の適格要件を満た結果」である記録から「誘拐に伴う被害者の生存期間という原因」を推定するため、「近年の因果関係研究の進展に伴う形で拡充された、仮想反実的な条件付き確率」を計算したものである。その際、従来の生存曲線の制作者は、事例収集の完全性を前提とするか、被害者の生存と死亡が実験研究の結果として得られたものという仮定を置いて、生存曲線を算出している。

「善・悪」と「秩序・混沌」の二元配置は人間観の理解に便利である

私が身代を滅ぼす程度のゲーム中毒でもあることは、読者にはバレているところであろうが、今回は、その話である。とはいえ、本ブログの意図する内容と無関係の話ではない。安倍晋三氏が利己的な存在であることを、私がいかにキャラ付けしているかの説明である。飯山一郎氏が主張するように、利己的な存在が政治家であると仮定するならば、彼らの行動原理をとことん利己的なものとして解釈した方が、現在の森友疑惑の背景にある闘争を理解できるし、その行く末を期待を持たずに見守ることができようというものである。今回の話は、あくまで、より良い理解のための補助線である。

『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』というテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(略称TRPG)は、会話とルールブックとサイコロを道具立てとする、幻想世界を主な舞台とするゲームであり、RPGの嚆矢である。1960年代以降の心理学の発展を受けて、ロール・プレイがセラピーの一手法として確立したことをも受け、1974年に登場した。現在の(選択肢を有する)サウンドノベルの源流にあたるゲーム・ブックとともに、現在までに至るコンピュータRPGの原型を創造した。軍事学や防災訓練における図上演習は、実のところ、この辺の話とも関係を有する(が、この点に触れる防災研究者は、ほぼいない)。

#脱線。陰謀論マニアには、Steve Jackson Gamesの『Illuminati』のカードデッキは良く知られた存在であるが、Steve Jackson氏は、ゲーム・ブックの創生期に活躍した一人でもある。なお、『D&D』等のTRPGに対しては、登場以後、アメリカ国内では「悪魔のゲーム」という宗教的な批判も存在しており、これらの批判への対応のために理論化が図られたという、わが国とは異なる事情を作家・翻訳者の安田均氏が解説していた(はずである)。

本題。優れたゲームは、現実の理解にも役立てられるような方略を提供することがある。囲碁や将棋の例を見れば、優れたゲームが世界を現実に変えており、日中韓という問題含みの国際関係における友好関係にも役立っていることは、十分に理解できる。また、囲碁や将棋は、諺や慣用句といった形で文化上の大きな要素となっていることも言うまでもなかろう。私自身は、囲碁や将棋を嗜んではいないが、本段落のここまでの指摘は、そう外れたものではないだろう。今回の指摘は、『D&D』のルールに示されるキャラクターの性格設定も、現実の理解に役立つというものである。

『D&D』のキャラクターの性格設定である「アラインメント」(alignment)は、「秩序・中立・混沌」(lawful, neutral, chaotic)と「善・中立・悪」(good, neutral, evil)との2軸からなる9種類である。基本的には、この設定は変更されておらず、ゲームにおいて、プレイヤーがキャラクターを演じる際の指針(プリンシプル)をなしている。解釈には多少の差が見られるが、おおよそ「秩序~混沌」の軸は、法や既存の秩序に沿うか否かを意味しており、「善~悪」の軸は、キャラクターが利他的であるか自己本位であるかを指す。『Star Wars』エピソード4~6の帝国皇帝は、Lawful-Evilであるという説明をどこかで読んだ遠い記憶がある。ハン・ソロは、登場時はともかく、行動の全体を通じてみれば、Chaotic-Goodと説明されることになる。

実のところ、この二元配置モデルは、わが国の官僚の多数がLawful-Evilであることを説明する上で重宝する。外国の映画に見るような汚職警官も同じ枠に収めることができるし、映画的テンプレ上のナチス・ドイツや大日本帝国も同様である。場合によっては、彼らの一部は、自身に課せられたルールをも都合良く逸脱するので、Neutral-Evilであると説明できるかも知れない。いずれにしても、Lawful-Neutral-Chaoticの軸上の配置によって、看による捕虜の虐待の頻度(つまり組織内における逸脱行為の確率)などを表現することができるのである。Chaoticなら好き放題に虐待するであろうし、Lawfulなら自制が効くであろう。Neutralなら、状況次第であり、都合良く通達や要綱の解釈を曲げることもするであろう。近年の右派犯罪学等においては、日和見または機会主義(oppotunistic)という語が重要な地位を占めているが、日和見的なキャラクターは、Neutralに相当すると解釈しても良いであろう。

この二軸の組は、法匪という語を的確に位置付ける上でも役立つが、それだけではなく、日本人の組織人の大半が善を積極的に志向せず、他人にも強要しない一方で、秩序を志向する傾向がある(つまり、Lawfulではある)ということを表現する上で、非常に役立つ。また、「チームのため」を強要する人物が必ずしも善ではないことも示唆する。日本人の組織人には、かなりの割合でLawful-Neutralが含まれるのであり、Lawful-GoodやLawful-Evilは比較的少数派ではないか、という可能性が見込まれる。杓子定規とは、Lawful-Neutralか、Lawful-Evilを指す形容であり、ここに日本ならではの失敗に至る陥穽が潜んでいるようにも思うのである。組織内で語られる「個人としては良い人」という表現は、この二軸から生じるジレンマを部分的に表現するものである。郷原信郎氏の指摘であるが、「合法でありさえすれば何でもあり」症候群である。吉本隆明氏の思想も、この点を曲解されて、ビートたけし氏の「赤信号みんなで渡れば怖くない」の表現のように悪用される余地があったという点で、脆弱であり得ると評しうる。

わが国では、この二元配置のうち、Chaotic-Goodは個人の生き方として評価されない一方で、Lawful-Evilは「抜け目ない」などと評価される。この対立関係は、上掲したように『Star Wars』シリーズ(Ep.4~6)の世界観でもあるし、大資本が投じられた近年の多くのPCゲームの世界観でもある。この対立を煽る思想は、もちろん、「国際秘密力集団」の両建て構造に由来しよう。しかし、わが国では、『アノニマス』が渋谷でゴミ拾いするという行動に変質したことを鑑みれば、この対立関係は、幼少期以降に社会規範が内面化される過程において、すでに決着が付けられるよう、何らかの諸力が作用していると見て良いのであろう。3月22日のロンドンにおける自動車暴走事件は、テロ集団ネットワークの関与したテロ事件であると報じられており、その点自体については報道が嘘を吐いているということはないが、わが国においてより高い頻度で生じている故意の暴走事件は、いずれも犯人個人に由来する、自己本位のものである。

少々脱線する。赤木智彦氏は「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で、生活に由来する個人の閉塞感を、戦争への期待感へと転嫁する心性を説明していたが、この心性も、故意の暴走事件と同様、利己的な欲求に根差して全体の便益を減少させる点で、Evilである。赤木氏は、「けっきょく、『自己責任』 ですか」と題した批判への応答の中で、わが国では革命が成功しないという趣旨を述べているが、利己に駆動された革命が、利己思想の蔓延した社会で成功しないことは、当然である。功利主義的側面から赤木氏の提起した課題に対して誰かが回答しているのかは分かりかねるが、功利主義からみれば、赤木氏の提起した問題は非常に簡素なモデルで提示可能ということになる。いずれも後知恵であるが。

#さらに脱線。現状と比べると興味深いことであるが、Neutral-Neutralは、生き方の理想の一つとして確立されている。老荘思想と仏教における中庸思想、無常観に影響を受けているものと思われるが、『徒然草』から『雨ニモ負ケズ』まで、「なるようになるさ」「自然のままに生きる」志向は、日本人の人生観の中枢を占めるようにも思われる。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、窓際族・引きこもりなどの現象に触れてはいるが、この状態を成立させる上での重大要因である無常観・諦観への言及が欠落しており、日本人の問題発生時において行動を駆動させる原理の主要部分を見落としたものともなっている。逆を言えば、この伝統的で強固な社会観に着目した優れた研究が存在していないか、マーフィー氏が見落としたことになる。もちろん、この種の諦観は、研究を「机の抽斗効果」(desk-drawer effect)に向かわせる諸力と親和的である。「登載されるか放逐されるか」(publish or perish)なんて考え方は、肉食系過ぎて、草食系の考え方である無常観とは、対極にある。

官僚の多数がEvilであることは、彼らの提起する政策が、基本的には狭いコミュニティを利するものでしかないという点から証明することができる。福島第一原発事故は、この構造・傾向をより顕著にしている。たとえば、「食べて応援」という施策は、受益者が汚染地域の生産者・買い叩く流通業者・汚染地域での生産を制限することにより批判を受けることがない政策立案者・政治家である一方で、負担者は国民一般である。東京電力という企業の救済も同様である。いずれも、最終的には、立案に関与した官僚らの個人責任を回避し、天下りを可能にするという点で自己の利益を維持・増進するものであると言える。なお、利己的であるという特徴=プリンシプルは、容易に囚人のジレンマに陥るものである。つまり、便益全体の最大化を図ることが苦手あるいは不可能という結果に至るものである。

善悪の定義を功利主義ふうに解釈する(=利他・利己に区別する)という『D&D』のアラインメントというルールは、何だか世界をも説明できた気になるため、特に学術上の根拠がないものとはいえ、ついつい濫用してしまう。濫用の例を挙げれば、安倍晋三氏は、私の中では、Neutral-Evilである。何だったらカオティックである。悪(Evil)が自己本位というところがミソであろう。自分勝手という語は、Lawful-Evilという性格を的確に連想させる表現ではない。また、「他者の便益の増進を図る」という功利主義的な表現は、人情味のないものに聞こえるが、これが善(Good)ということになる。

人間の行動に係る人間の理解(この分野を扱う学問は、行動科学に限られない。たとえば、宗教学や文学や美術や哲学も。)は、何だかんだ言って発展しているので、その影響をゲームが受けないわけでもない。逆に、ゲームの多くは、現実を抽象化=モデル化したものであるから、そのモデル化が成功したものであるとき、現実へのフィードバックが生じるのも当然である。現実を説明する、つまりモデル化する上でもゲームは有用という訳である。もうそろそろ半世紀を迎えようとしている(その根はパルプ・フィクションにあるので、根源自体は一世紀を迎えるということになるのかも知れないが)古典的ゲームが、これだけ類似のゲームが氾濫する中でも残り続けているのには、理由がないわけではない。もっと明け透けに言えば、ユングやフロイトよりも、よほど人間の行動原理を縮約して説明できている点、優秀であると主張することもできよう。イドとかエゴって何よ?モデルとしては全然エレガントじゃねえよ、という訳である。

最後であるが、森友疑惑の構図について。『D&D』のゲームをベースとする小説『ドラゴンランス戦記』シリーズ(英語だと3部作)の末尾には、「悪は、お互いに食い合う」のような表現が出てきたはずである(。正確に覚えていられないのが、私のクオリティであるし、ネタバレは申し訳ない)。現状の森友疑惑が噴出した後の関係者の行動には、自己保存行動という語が最も当てはまる。とすれば、ジャパン・ハンドラーズと仲違いした今後、国民益の増進という崇高な理念に根差した行動を安倍氏が取ると期待するよりも、感情に基づく闘争が単に継続すると見た方が妥当であろう。ただ、この感情のもつれから生じた混乱に乗じて、福島第一原発事故を終息させる対策に安倍氏自身が本腰を入れるとすれば、マッチポンプとも批判されるかもしれないが、安倍氏は、本当に歴史に残ることとなろう。飯山氏のごく最近の安倍氏ヨイショはこの大転換を狙ったものであると、飯山氏の主張を私は好意的に解釈している。きわめて分の悪い賭けだとは考えるが。

2017年3月25日土曜日

森友学園疑惑の追及とジャパン・ハンドラーズ抜きの日米関係とを比較すると後者の重要性が高い

前回(2017年3月25日)の記事の続きである。前回は、現政権に見られる多数の問題の中から、森友学園疑惑だけが大々的に報道されている理由を考察した。要約すれば、森友疑惑の報道重点化は、ジャパン・ハンドラーズを中心とする戦争屋勢力の一部による、海外向けの宣伝である。首謀者は、自身らが日本政策の代理人として最適であると示威することをも目的としているであろう。この構図は、みかじめを支払わない店舗に対するヤクザの見せしめと同一である。

なお、お断りしておくと、今回の考察も、前回と同様、飯山一郎氏による、安倍晋三氏が戦争屋の軛を脱したとする主張を、私なりに考察した結果である。ただし、今回の考察も、飯山氏の主張の丸呑みでは決してない。現に、飯山氏の意見を批判的に検討した結果、安倍氏と戦争屋の関係の今後については、やはり異論がある。戦争屋と安倍氏の対立関係は、もはや後戻りできないまでに昂進したとまでは言えず、元の鞘に戻るという芽も残されていると見た方が安全である。ただ、その関係性の当否はともかく、どちらがマシかと問われれば、戦争屋陣営よりは、トランプ陣営下である限り、安倍氏の方が断然マシであるという点では、変わりない。

森友疑惑だけを殊更に報道することは、トランプ米大統領をも批判の射程に含むことになる。トランプ氏と安倍氏との仲が良いとされるためである。このため、「日本」のメディアが海外に本件疑惑を御注進するのは、国益を損ないうる行為である。ただ、どのメディアであるとは明記しないが、常に反政府的な姿勢を貫いてきたメディアの報道は、政治活動の一環とはいえ、筋が通ったものであるから、放置せざるを得ない。他方、五大紙の変節ぶりは凄まじく、全く評価できるものではない。内部で高給を食んでいると、本件報道に加担する自身らが、見せしめに店舗を叩き壊せと命じられて唯々諾々と従うチンピラと同様の存在であることを自覚できないのであろう。わが国の新聞業界は、「インテリが書いてヤクザが売る」と揶揄されてきたが、現時点では、売る側が真っ当な一方で、書く側がチンピラ未満である。大手新聞業のプリンシプルとは、その新聞が対象とする国を問わず、「剣を振りかざす金主」すなわち戦争屋に尻尾を振るということなのであろうか。

戦争屋を排除するために必要な措置を取らないまま、トランプ氏の駒となり得る安倍氏を蹴落とすことは、日米両国の国益にならない行為である。現状は、安倍氏がジャパン・ハンドラーズに立腹しているだけかも知れない。しかし、今後の安倍氏が戦争屋の犬であり続けるかもまた、未知数である。現状から出発するなら、今後の安倍氏とテロ等準備罪は、両方とも道具でしかない。道具は、使われ方こそが批判の対象となるべきである。トランプ氏は、戦争屋と対立してきているために、当然ながら、戦争屋の影響下にあった安倍氏を自らの影響下に置こうと働きかけてきたであろう。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、日本の統治システムが米国の強い影響下にあり、半植民地保護国と呼べる状態にあると指摘し、同時に、その状態を直視して改善することが日本の指導者層には困難であろうと述べていた(pp.222-223)。しかし、私は、彼の著書に接する以前から、個人的な体験に基づき、日本が米国の強い影響の下にあることを認めているし、むしろ、福島第一原発事故の終息につながるのであれば、指導者層が米国の忠実な番犬として振る舞うことを喜んで是認する。昨日に引き続いての『PayDay 2』ネタにもなり恐縮だが、福島第一原発事故にせよ、米国の影響下にあることにせよ、現時点のわが国において、これらの話題は「部屋の中のゾウ=公然の秘密(The Elephant in the room)」なのである。(蛇足:ゾウは米共和党のトレードマークでもある。)

#正確を期せば、わが国の刑法の解釈の幅は非常に広いため、ほぼすべての国民は、日常生活の中で犯罪となる行為に手を染めている(はずである。そうではない聖人君子には、お目にかかったことがない)。このため、テロ等準備罪が屋上屋を架すものであるという批判は、正当な指摘といえよう。ただ、この話とテロ等準備罪の両方は、ジャパン・ハンドラーズにも適用可能である。議論の焦点は、「テロ集団」を構成する具体的な人物名とその関係性にこそある。

今後のシナリオを3種に分類して検討すると、トランプ氏と安倍氏との人間関係が構築された現時点において、安倍氏を首相の座から排除しなければならない理由が存在しないことが分かる。日本国民にとって望みうる最善のシナリオは、今後の首相が誰であれ、能動的に国民本位の政治体制を築くことである。しかし、これには、不正選挙の防止のみならず、国民意識の大転換=メディア・リテラシーの成熟までが必要である。この条件は、百年河清を待つようなものである。次善は、アメリカ発・トップダウン型・ウィン=ウィンの現状改善であり、誰が首相であるにせよ、彼(女)が、戦争屋というブラック中間業者を経ずに、つまり中抜きで、トランプ政権から指示・助言を受けるというものである。この展開は、現状を前提としたときには日本国民が望みうる最善のものであるし、3.11の際にも(誰だか分からないが、そして誰だか良く分からないことこそが問題なのだが)米国人が官邸に出入りしていたという以上、当時の状態よりも遙かに健全である。第二次世界大戦後以後の歴史を直視すれば、米国の半植民地にあるという状態は、一人の日本国民が何ら恥じ入るべきことではない(が、政治家と国家公務員は、在職期間と地位と活動とに応じて、大いに恥じ入って良い)。なお、わが国において新自由主義者と呼ばれてきた者は、多くが戦争屋と重複するが、中抜きを良いことであると宣伝してきた。同じことは、彼らにも当てはまるが、自己責任というやつである。最後に悪いシナリオを述べれば、誰が首相であるにせよ、戦争屋の言いなりになる権力構造が再開されるというものである。安倍氏がトランプ氏の支援にかかわらず、戦争屋勢力を含めたマスコミの批判に屈したときは、この状態に陥ることになる。また、今後近い時期に選挙が行われ、たとえば、民進党が政権の座に返り咲いたときにも、不可解なことに原発推進勢力(=当面原発維持)がトップに就くということになろう。以上のシナリオを考慮すれば、トランプ氏の忠実な手下を務める限りという条件付きではあるが、戦争屋の言いなりになる連中をトップに据えるよりは、安倍氏の方がマシである。

トランプ氏は、大統領就任演説?において、中国・日本を含む他国民がアメリカを尊敬することになると述べたが、この語を信用するなら、日本の衰退まっしぐらという現状に対して、少なくとも日本国民の損にはならない政策を講じるであろう。現に、トランプ氏の構想は、田中角栄氏を想起させる「アメリカ大陸改造論」であるが、その恩恵は、従来のファンダメンタルズからすればあり得ない東証の株高にも及んでいる。この株高は、単なるバブルではなく、戦争による焼き畑型経済である「ショック・ドクトリン」からの脱却が図られつつあることを反映したものとも解釈できる。安倍氏にも、東証の株高がトランプ氏の政策のおかげであることは理解されていよう。東証の株高を自身の求心力として利用してきた安倍氏がトランプ氏に対して親近感を表明するのは、自然な成り行きである。株高は、年金運用にも思わぬ追い風をもたらしているとはされるから、国民全体の利益になっていない訳ではなかろう(。本点については、GPIFの報告書の文言は、このようには読めるとはいえ、運用の実際を詳しく知らないために、断言はできかねる)。反面、トランプ氏サイドは、安倍氏をカタにはめつつあるとも言える。

#サボり気味なので、今回、ついでに書き飛ばしてしまうと、マイケル・フリン氏の解任は、トランプ氏にとって確かに失点である。しかし、無用な血を流さないという信念は、戦争屋以外の軍人には共通するものであるから、取り返しのつかない失点ではない。それに、フリン氏自身が「Pizzagateに突破口を開くことは、自身の政治生命と引換えとなったとしても、後世に評価されるべきこと」と考えた可能性も残る。フリン氏が仮に出処進退を賭けて本件に取り組んだのだとすると、その行為は、日本国民からも尊敬を受けるべきものである。というのは、わが国においても『プチ・エンジェル』事件があったためである。同事件は、わが国にも同様の構図が存在すると考えて良い証拠である児童買春(売ではなく)という犯罪の追求を通じた世界の変革がわが国に及んでいないという状態は、この商売がどの筋によって仕切られてきたのかを示す傍証である。このとき、日本国民は、フリン氏のPizzagateに係る行動がいかに困難なものであろうかということを、自国の事例から容易に看取することができるのである

森友疑惑の報道を経て安倍氏が戦争屋の言いなりに戻ったり、衆議院の解散に踏み切ったりするのであれば、トランプ氏は、せっかくの日本政策の手駒を失うことになる。しかも、この駒は現役の首相である。日本国民が良好な対米政策を期すならば、安倍氏を挿げ替えたとしても良好な関係を構築可能な人材をトップに据えなければならないことになる。その人材には、もうひとつ条件がある。意地が悪い表現であるが、安倍氏とトランプ氏とを比較した場合、トランプ氏の方が格上であることは、自明過ぎることである(。私も情けない気持ちではある。しかし、安倍氏がトランプ氏を凌ぐほどの大人物であったとすれば、福島第一原発事故は生じていない。森友疑惑よりも、福島第一原発事故の電源喪失に係る安倍氏の責任問題の方が、明らかに重大である)。安倍氏の後任は、この明快な上下関係を変更しない人物でなければならない。日本の政治家の多くであれば、この上下関係を維持できるであろうが、万が一、(真の意味で)正当に選挙が実施され、国民が賢明な選択を行い、第一党となった政党が日本に山積する難題を解決可能な人物を首班に選出したとしよう。優秀な人物は、少なくとも、日米首脳の上下関係(ここでは米国が上)の格差を縮めてしまう虞がある。人間としての実力が近いと、国益が賭けられた交渉事は、面倒なものになる。双方が利益の極大化を目指す可能性が認められるためである。トランプ氏がメルケル氏を嫌う態度を見せる一つの理由は、彼女がタフな交渉人でもあるからであろう。今回の疑惑を引くまでもなく、日本の政治家の背景には多くの利害関係者がいるために、なまじ優れた人物が首相の座に就くと、バックの人脈も変わり、難題山積の米国の政治にも手戻りが生じることにもなる。アメリカから見たときにさえ、日本の神輿は、今の軽い状態が都合良いのである。米国で凋落著しいハンドラーズの言いなりになる政治家がわが国で政権を握るくらいであれば、トランプ政権の言いなりになるという条件付きではあるが、両国の国民にとって、安倍氏の方が余程マシということになる。

#私がブログをサボって碌なことをしていないのかバレバレなのだが、ナショジオで米国(アリゾナ州)の麻薬問題が繰り返し報道され、腐敗したメキシコのカソリック神父や軍隊、堕落したCIAと軍高官が、両国のギャングとつるんで麻薬流通に手を染めるという映画が、A級・B級問わずに、多数放映されることは、ハンドラーズの凋落を示す傍証として挙げることができよう。日本国内でこれらの番組が報道されていることは、理解できる人には理解可能なメッセージという訳である。




2017年3月25日22時追記

上掲記事の執筆後、飯山一郎氏のウェブサイトの2017年3月24日の記事及び25日の記事を初めて閲覧した。上掲の私の記事は、学術論文として見た場合には、完全に後追いであるために価値を有さないことになるし、私の文章の方が遙かにポンコツである。とはいえ、コミュニケーションを取らないままに別のアタマで考察した結果が類似したものとなったことは、この種の見方が理論に成立することを示す証拠と言えよう。ただし、安倍晋三氏の福島第一原発事故に対する理解については、飯山氏の見解よりも、私は遙かに悲観した見解を有している。最近の飯山氏による安倍晋三氏の評価は、きわめて能力に優れた人物というものであり、戦争屋の指示に拠らない独自の政策を構想するかのごとくに安倍氏を記述するものである。が、安倍氏の最近の行動を検証するに当たっては、安倍氏自身を「上にへつらい、下には過剰に厳しく、人の手柄を横取りする小人物の上司」として措定する方が、従来の行動と整合的であり、無難な解釈である。飯山氏の賞賛は、むしろ、「おだてりゃ何とやらも木に登る」効果を狙ったものと見ておいた方が良かろう。褒め殺し、という表現でもそこまで外してはいないであろう。

いずれにしても、日本国においては、福島第一原発事故に対する理解と対応・行動こそが、責任ある立場の人間にとっての試金石となることは、間違いないことである。事故当時の自民党政治家のうち、まともだったと後世に評価されるであろう人物は、河野太郎氏くらいであろう。(河野氏は、すでに、Wikileaksへの漏洩により、色々と取り沙汰されてしまっているため、評価が難しい状態にはなっているものの、それでも正当な評価を受けて然るべきである。)ほかに現在の自民党関係者と見做される人物のうち、福島第一原発事故について、好評価を受けうる人物は、事故後かなり遅れてのことになる上、利権の臭いも感じるし、公職を引退もしているが、小泉純一郎氏を加えることが可能なだけであろう(。小沢一郎氏とその弟子筋は、自民党で実力を発揮した政治家たちではあるが、事故前後からの政治的スタンス考慮すれば、現・野党側の人物としてとらえるべきであろう。それだけに、事故直後の小沢氏本人の行動に対して、誹謗系週刊誌があることないことを吹聴していたことには、事実関係は措くとしても(、また、私は週刊誌側の示した事実関係に疑いを有したままであるが)、何らかの理由があるものと推測される)。ここで指摘するまでもないことであるが、現時点までの福島第一原発事故に係る安倍氏の発言と行動は、基本、すべてが、国民の生命と健康ならびに財産を保護する方向とは真逆のものであり、たとえば、非常電源喪失に係る答弁の責任を引き受けないものである。




2017年3月26日追記

以前(2016年11月18日)、安倍氏が大統領就任前のトランプ氏を訪問したことを受け、以下のように懸念を示したことがあるが、「日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディール」が今のところは不要であったかのように見える点、私は、日本国民にとって予測を良い方に外したことになる。その理由の大方は、トランプ氏側の厚遇するという方針にあったであろう。また、やはり、国同士の外交において筋目を通すという点では、このときの訪問は異例であったものの、佐藤優氏の指摘どおり、オバマ氏の後にトランプ氏と会談ていたとすれば、トランプ氏の就任前に安倍氏が訪問したことは、正解であった可能性がある。この点を認めて、評価を変える必要があるであろう。あまりにも話す内容が多かったであろうし、情報漏洩の危険も認められたためである。もっとも、この会談の折に、安倍氏が何を話し、どのような話を聞いたのか、その内容を十分に理解したのか、といったディテールが分からなければ、依然として、一般人がこの会談の成果を正当に評価することはできないであろう。

クリントン氏とだけ安倍氏が会談していたという事実は、私自身が決して歓迎することではないが、安倍氏自身にも利用可能な事実である。日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディールにより、権力の維持を安倍氏が願い出るというケースを、日本国民は覚悟しておかなくてはならない。



2017年3月28日追記

田母神俊雄氏が南スーダンにおける自衛隊の任務の終了を受けて、次のようにツイートしている。その表現は、軍人が基本的に生命を大切にすることを示す。ただし、そのニュアンスは、パイロットの生命が費用面でも戦闘機より高くつくというように、置かれた状況によって微妙に異なるであろう。なお、田母神氏は、今後の国際情勢の変化に応じて、わが国の広義のセキュリティ産業に与えた影響について、評価が変わりうる人物である。キーワードは、自前主義である。田母神氏の自前主義に係る従来からの主張が自衛隊員の生命の保護を視野に含めたものであることは、一連のウェブ上の資料においては、一貫している。なお、自前主義の難しさは、ジオイントに係る論考(2016年2月1日)で一部触れたことがある。

また、古歩道ベンジャミン氏が、「公安筋」から、今回の森友疑惑の仕掛け人のトップに小沢一郎氏がいるとの情報を得たと報じている(27日メルマガ)。この情報が正しいのであれば、(そして、私は、この情報のルートについて、非整合性を感じるが、)辻元清美氏が野田中央公園の整備構想に関与していたとするスピン情報は、正当性を持ち得ないということが近いうちに明確になるであろう。同公園の土地の所有権が豊中市であるなら、そこに投じられた金額の割合が通常の国と地方の関係からいえば、高いものであることは確かであるが、そこには何ら、国家を私物化したとの指摘は当たらないためである。都市計画手続上の瑕疵も、以下の豊中市議会建設水道常任委員会(平成22年10月12日)のやり取りの中では認められない。(都市計画のあり方が、2000(平成12)年以降、主に小泉政権の時代に、何でもありの度合いを強めたことは、都市計画に係る案件の正統性を論じるに辺り、理解しておくべきである。)

2017年3月24日金曜日

数ある疑惑の中から森友学園疑惑をチョイスしたのは外国向けを意図したのであろう

いわゆる森友(学園)疑惑、別名アッキード疑惑に係る籠池泰典(泰博)氏の証人喚問が昨日(2017年3月23日)行われた。しかしなぜ、掃いて捨てるほどある(はずの)疑惑の数々の中から、本件が大きくクローズアップされたのであろうか。私は、海外向けの報道も見込んでいるから、という一応の答えを用意してみている。本疑惑は、安倍氏を超国家主義者として描写するという効果を持つものであり、国内向けよりも海外向けに適する。このため、本件が放逐された旧米国戦争屋の仕込みであるとする飯山一郎氏とその仲間たちの見立ては、おそらく正しい。しかし、安倍晋三氏が日本の国益のために舵を切ったとする飯山氏らの見立ては、安倍氏が単に感情的に自己のためだけに動いているという可能性を(故意にかも知れないが)除外したものである。本稿では、まとまりなく、この点をメモしておきたい。

現在では、確かに、従来のわが国に係る戦争屋連中の一部(ジャパン・ハンドラーズ、清和会系の自民党、松下政経塾系の民進党、日本維新の会、公明党、日米合同委員会に所属してきた売国官僚、マスコミ政治部)と安倍氏は、仲間割れした状態にある。ここまでは事実として認めて良いであろう。しかし、この現状は単なる偶然の産物であり、その原因は安倍氏が感情のままに動いたことにあるのではないか。

#2017年3月25日追記・訂正:従来の方針とは異なるが、今回については、戦争屋連中のうち、明らかに森友疑惑に関連して、仲違いしている勢力を具体的に記述する価値を認めたために、特記した。その過程において、本疑惑に関係した一部上場企業の活動の詳細が私には分かりかねるため、戦争屋連中と名指しした状態を訂正した。(お詫びの必要はないものと考える。)

昨年9月、安倍氏は、米大統領選候補のクリントン氏とだけ会見した。この経緯は、ハンドラーズの主張を丸呑みしたものであろう。安倍氏は、トランプ氏当選の報に接して、自身の面子を潰されたと憤るとともに、自身の地位に対して不安を感じたことであろう。外務官僚に責任を転嫁するだけでは飽き足らず、ハンドラーズに対しても、大嘘吐きやがってと恨んだであろう。安倍氏が感情的に振る舞う姿は、非常に多くの実例を認めることができる。ハンドラーズと面会しなくなったのは、単に、安倍氏がハンドラーズへの怒りを収めることができていないためであろう。ハンドラーズにとっては都合の悪いことに、安倍氏がトランプ氏に慌ててすり寄ったところ、トランプ氏のチームは、深謀遠慮ゆえであろうが、安倍氏を歓待した。思いがけない厚遇を受けた安倍氏が、その結果を自身の太鼓持ち能力によるものと誤解して、今後も中抜き(=ハンドラーズ抜き)で行くと決めたとしても、それほど不自然ではない。

森友疑惑は、この安倍氏にとっての「棚ぼた」を制裁するため、海外に向けても報道するため、用意されたものであろう。かねてから準備されてきた数あるスキャンダルのうち、トランプ氏へもダメージを与えるべく、海外向けのネタが選択されたと考えられる。ハンドラーズは、大日本帝国の復活を企図する連中と安倍氏夫妻の仲が良いことをあげつらうと同時に、その安倍氏とトランプ氏の仲が良い、とディスりたいのであろう。このような構図でハンドラーズが誹謗することは、(ハンドラーズには与しないが)米国の良心を自認する層に対して、安倍氏の首を挿げ替えることを訴えると同時に、ハンドラーズ自身の工作能力を日米双方の関係者に対して誇示する上で役に立つものと考えられる。この構図は、ヤクザが自身の実力を誇示するために、みかじめ料の支払いを拒んだ店舗を叩き壊すというものに酷似している。

#脱線するが、『PayDay 2』というFPSゲーム(First-person shooter, 3D画面内でプレイヤー視点から敵を撃つゲーム)には、ロシアンマフィアへの支払いを拒んだショッピングモールの窓ガラスを50000ドル分叩き壊すというミッションが含まれている。このゲームのミッション(Job)のあらすじは、ほかのものもセンスが良いと思う。が、ステルスゲームとしては出来が悪い。色々な理由があるとは思うが、認知心理学や人間工学の知見を手がかりにプレイすると、とても酷い目に遭う。

ハンドラーズ以下の一味が森友疑惑を取り上げるという示威行為は、以上のように、日米双方の国家指導者に向けて用意されたものである場合には、ハンドラーズが所属する国家の主権者への承認を取り付けた上での行動ではないがゆえに、国家の根本を揺るがすものである。つまりは、米日の両国民にとって、わが国の刑法にいう外患誘致となる。(主に、米国民に対して、わが国における外患罪に相当する内容を有するがゆえに、このような順番で表記した。)この点をふまえるならば、東京地検特捜部の政治家に対する今後の動きは、彼らの政治的な活動と立ち位置を明らかにするものになろう。(この指摘に対する答えは、自明なものではあるが、繰り返しておいて損はなかろう。)

G20に際して、トランプ氏とメルケル氏の会談、メルケル氏と安倍氏の会談が大きく報道されたという事実は、ほかに存在する疑惑ではなく、森友疑惑こそが海外向けに報道されねばならなかった理由を補強する。ハンドラーズの習性に通じた観察者であれば、なぜ疑惑が森友疑惑でなければならなかったのかは、この点からも説明可能である。彼らハンドラーズの中では、西のナチス・ドイツ、東の大日本帝国は、永遠の敵役である。ドイツの現指導者はナチスと決別したのに、日本の現指導者は大日本帝国と決別できていないと誹謗しつつ、その大日本帝国の継承者と現在の米大統領との仲が良いと指摘する連中は、結局のところ、トランプ大統領を誹謗したいのである。戦争屋が他人を誹謗するとき、ナチス・ドイツと同類扱いするという方法がしばしば用いられる。この特性は、そのように訓練を受けているからと考えるのが適当であろう。悪をなす方法は、悪を積極的になしても制裁を受けないコミュニティにおいてしか、維持・継承されないのである。なお、ナチス・ドイツの人種差別観念は、実のところ、戦争屋の思想にこそ継承されている。でなければ、戦争屋連中により、朝鮮戦争やベトナム戦争が惹起されたことの説明がつかない。

#なお、ドイツ国民には申し訳ないが、願わくば、ハンドラーズの文脈上で日本とドイツが永遠の敵役であり続けて欲しいものである。第三次世界大戦など不要である。また、アメリカから見れば、日本は西にあるのだが、ここでは色々と承知の上で、このように記している。もののついで。アンゲラ・メルケル氏は、安倍氏のように極右と受け止められるような言動を報じられたことがないが、トランプ氏を当選させる原動力となった米国の愛国系ニュースサイトにおいて、複数、父親に係る疑惑を報じられてきている。この構図は、随分と捻れたものである。ナチというシンボルの押し付け合いである。

安倍氏とハンドラーズ連中との仲違いが国益を考慮した結果ではないという推測は、今後、この騒動が結局は国民の利益にならないという懸念を抱かせる材料である。繰り返しになるが、安倍氏が心を入れ替えて戦争屋と袂を分かったと見るよりも、面子を潰されたと感じた安倍氏がハンドラーズの面会を拒んでいると考えた方が、よほど整合的である。大人物同士が相通じるのと同様、小人物にも小人物を嗅ぎ分ける力がある。一介の小人物である私からみて、安倍氏の心性は、典型的な小人物のものであるように思えて仕方ない。器の小さな上司がキレる場面を想起すれば、安倍晋三氏の状況は見事に説明できるのである。このような構図まで見抜いた上で、戦争屋同士の内ゲバを誘うために安倍氏を厚遇したとすれば、トランプ氏のチームは、アメリカの国政を担うに相応しいだけの力量を備えているのであろう。米国民からすれば、ヒュミントの好事例ということになる。日本国民からすれば、本件の評価を定めることはまだ難しいであろう。

#おまけ。本日朝日の朝刊の解説を見る限り、デーブ・スペクター氏は以前からの論調を転換したようにも読めてしまう。ロックフェラーの三代目の死亡といい、世界は確かに変わりつつある。

2017年2月7日火曜日

トランプ大統領の入国制限政策を批判する日本人研究者は、自らの所属する組織を正してから批判すべきである

題名で主張をすべて言い尽くしたので、おしまいでも良いが、ここでは、研究者の受入に伴う人物同定については、日本の大学も他国の批判を行うことができないことを指摘するため、報道された事例を元に、論拠となる事件を3件挙げておきたい。1件目は酒田短期大学(の留学生)、2件目は佐賀大学(大学院の留学生)、3件目は立命館アジア太平洋大学の教員の件である。おまけに4件目として、私の卒業(了)した学科での事件を挙げることができる。1・2・4件目は、大学院重点化と外国人留学生受入れ増加に伴う弊害であるとともに、テロ(4件目)や犯罪(1・2件目)への関与が疑われた事件に過ぎないが、3件目は比較的新しく、しかも邦人テロという甚大な実害が生じている事件について、教員の関与が濃厚に疑われているために、特筆されるべきである。この事件に触れないまま、トランプ政権の施策を批判する研究者がいるとすれば、その人物は研究者としての素養を欠くと批判されてもやむを得ないであろう。余分(で私の将来に不利)な物言いであることを承知で指摘するが、私の中では、安全を冠する研究分野についての立命館大学(グループ)のあり方は、相当に悪印象である。



本文よりはるかに長いおまけ

蛇足となるが、多国籍(=無国籍)巨大IT企業の経営陣がトランプ政権に対して批判的である原因は、海外からの優秀な人材供給が制限されるという事情にもよるであろうが、大学等の高等教育・研究機関とは異なる理由も併せ持つであろう。つまり、人材供給難だけが現状の批判に至る原因となっていないと考えられる。大統領選挙戦における反トランプ氏キャンペーンに深く関与していたことが認められる企業が含まれるためである。現時点に至る経緯を見れば、トランプ政権とこれらの大企業との間には、ヤクザチックな表現であるが、手打ちが必要なはずである。ゆえに、アメリカを代表するようなIT系大企業からの現在進行形の批判は、現政権サイドとの何らかの了解の下に進められていると考えることも、無理筋ではない。この可能性を示す兆候と、この双方の了解という状態の生み出す影響は、インテリジェンス業界に属するものである。本点については、私の方法がオシントに分類されるものであるとしても、これ以上の調査を進めるつもりはない。ただ、報道のあり方に違和感があるというのみである。

ここまでに指摘した材料を揃えた上で、職業集団を全体として評価してみれば、日本人研究者たちは、政治的な観点から、安全と名の付く分野については、昨今の安保関連法案反対の署名を除けば、賢明な表現活動・社会活動を進めてきたとはいえない。その割には、アメリカ国内において支出される100分の1程度の端金で、4周遅れくらいのレベルの防衛研究に手を染めようとしている。むしろ、外交研究とサイバー防衛(防衛のみ)にカネを突っ込むべきである。防衛研究については、田母神俊雄氏の公訴に係る恣意性を正すことができなければ、わが国にはフリーハンドがないものと考えるべきである。サイバー防衛については、TRON OSのテコ入れとWindows機の公的機関の重要部分からの排除を実現できなければ、やはりフリーハンドはないものと考えるべきである。ここでは、あえて極論を記してみたが、このような、セキュリティに係るどん詰まり状態を放置しておいて、今更、外国人研究者として、トランプ大統領の進める政策に対していち日本人が反対することは、どうにもセンスの悪いことである。他国の政策についてとやかく言うことは、十分に政治的である。国内の研究機関等に所属する研究者が、他国の政策に余計な口を挟む一方で、自国の大問題である福島第一原発事故を問題視しないことは、政治的である。かつ、日本の公費を投入されている職業人としては、臆病であり、無責任である。ましてや、アメリカ(と米国籍とみなされる企業等)は、わが国の研究者に対して、各種のフェローシップを提供してきた。その恩恵を受けた研究者が発言することは、日本国内での活動実績もコミで評価されることになろうから、慎重に言葉を選ぶ必要がある(その人物は、果たして、win-winの関係のみに言及してきたのであろうか。1%のみが利する政策のみに言及してきたのではないか、という疑惑が厳然としてある。)

わが国の研究者たちは、他国への留学生の救済を言う前に、たとえば、原子力工学研究界隈で傍流に追いやられていた研究者たちの救済を、優先して指摘すべきである。徐々に、彼ら少数派の事故直後の指摘の方が、原子力政策に大きな影響を及ぼし得た多数派の事故直後の公言よりも、実像に近かったことが公に認められつつある。正確な予測をなした研究者たちの政治的な名誉の回復や経済面・制度面での救済は、まったくと言って良いほどなされていない。原子力業界(と政界・学術界)の機能の正常化を求めない研究者たちの政治センスの悪さは、最後にはわが国をハードランディングに導く原因の一つである。その理路の詳細な説明は、現今のわが国のテロ対策の根幹にも関わるので、現時点では見合わせておく。ただ、本件に関連する限りでは、留学生の母国や以前の居留先におけるヒュミントを確立できずに、留学生を受け入れよとするような意見(#どこかの医者の意見、Yahoo!個人かに掲載)は、総じて無責任であることだけを指摘しておく。持論は、別の必要とされたはずの場で、必要とされる人に伝わるように、すでに述べてあるが、要点だけを繰り返して述べる。受入国のコミュニティを丸ごと移植して、そこで安全に対する責任を育成できる見込みがなければ、移民は認めるべきでない、というのが私の(体験的な)意見である。国・言語のコミュニティを研究者コミュニティに置き換えれば、留学生の受入方針へと転用可能である。公共安全分野を含めて、そのサラダボウル内の自治を確立しないと、テロ対策が機能しうる移民政策にはならない、というのが、他国を見たときの経験則である。




2019(令和元)年05月21日追記

本記事に取り上げたモハマド・サイフラ・オザキが20日に拘束されたとの報道[1]があった。彼の受入れ体制ならびに関与した人物たちの(現時点までの)行動は、今一度、検証され批判を受けても良いと思う。


[1] 邦人死亡テロ、中心人物拘束=元立命館大准教授の男-バングラ:時事ドットコム
(2019年05月21日19時43分、ニューデリー時事名義)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052101136&g=int

〔…略…〕今年3月にシリア東部でクルド人部隊に投降し、イラク北部スレイマニヤに身柄を移された。また、一緒に行動していた日本人の妻と子供2人は空爆で死亡したという。

同容疑者は16年のテロの際、バングラデシュ国内の過激派とISとの連絡役を務めたほか、資金調達や、バングラデシュの若者をISに送り込む際の勧誘役も担った疑いがある。警察が指名手配し、行方を追っていた。

2017年2月3日金曜日

オバマ大統領は第三次世界大戦を回避した人物として記憶すべきである

 一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構 研究員の部谷直亮氏は、『プレジデント』の2017年1月30日配信の記事[1]において、バラク・オバマ氏を無人機(ドローン)を用いた「爆弾魔」であると批判している。部谷氏は、米外交問題評議会(CFR)の報告を引用し、「2016年は2万6171発、15年は2万3144発」であるとして、子ブッシュ政権よりも桁違いに多いドローン攻撃を実行したと批判する。部谷氏は、オバマ氏が国家間戦争を主導しなかったから非戦の人であると理解することは誤りであるという論旨を提起している。さらに、部谷氏は、オバマ氏のドローン使用に係る政策・発言・思考が相矛盾するとさえ批判している。

 部谷直亮氏の批判は、オバマ氏が、第三次世界大戦の回避という、よりマシな選択(the lesser of two evils)を取ったことに言及しない点で、不公正である。オバマ政権時、アメリカ軍やNATO軍を本格展開する正規戦が生じていたとすれば、どの国においてであれ、民間人を含めた全陣営の被害者数は、ミカ・ゼンコ(Micah Zenko)氏のブログ[2]に2017年1月20日に示されたような数値と比べて、二桁違いとなっていたであろう。また、部谷氏は、オバマ大統領が自らターゲットの最終選定に関与していたことを指弾するが、この選定過程は、その内容次第で、ターゲットの人数を減らす方向にも作用するものであるはずである。(後世において、この点の検証が可能であるか否かは、疑わしいものではあるが。)あり得た状態との対比を経ることなく、被害が大きいと批判することは、20世紀以降の行政組織においても見られない杜撰さである。(わが国の行政組織は、対前年比・対前年同期比が大好きである。)蛇足であるが、(反実)仮想的な状態との対比は、近年の政治学における定性的・定量的研究双方の根幹に据えられている。

部谷氏の記事は、それ自体、失当な内容ではあるが、以前の私のオバマ氏への評価を図らずも肯定する内容となっているという点では、(私にとって)有用であった。私は、(2016年11月18日)において、「シリアにおける消極策のようにバラク・オバマ氏の「チェンジ」が分かりにくい」ものであると指摘した。オバマ氏は、大統領在任時、シリアにおける正規戦へとアメリカ軍を参加させることがついになかった。この事実を、ロシアの伸張にむざむざチャンスを与えたとみるか、第三次世界大戦を回避したとみるかは、後世や同時代の人々の自由ではあるが、私は、後者の意見を断然採用する。断定的となる危険を承知で表現すると、アメリカ大統領としてのオバマ氏は、ツンデレで皮肉屋で強かであった。部谷氏は、「デスノート」を持ち出しているが、ドローン攻撃にこの喩えを用いることが不適切であることはさておくとしても、近年のわが国における漫画文化に典型的なキャラ設定を有するオバマ大統領の思考・言動・政策を理解していない。

オバマ氏は、戦争屋一味の部下に囲まれた大統領であり、その政権内では、少数派の平和志向であった。このように理解すると、オバマ氏の消極的姿勢の理由が良く理解できるようになる。ヒラリー・クリントン氏や、(最近、トランプ氏に解任された)ジョン・ブレナン(John Owen Brennan)氏に代表される戦争屋勢力のプレッシャーがかかる中、通常人ならば決定後も苦しむであろう(人を殺すことになる)政策を強いられていたものと考えることができる。もちろん、最終責任者としての責任をオバマ氏に問うことは可能であろうが、オバマ氏が選択を拒否してケネディ大統領と同じ目に遭っていた場合、後に控えているのは、シリアを発火点とする第三次世界大戦であったことを念頭に置けば、人々の考え方も和らぐというものであろう。

 このようなオバマ大統領の「功績」を考えに入れれば、部谷氏の論考がきわめて不公正であったものと自然に結論を導くことができる。共和党寄りとはいえ、戦争屋一味のシンクタンクである米外交問題評議会の報告を利用してオバマ氏をディスるとは、部谷氏も、お里が知れるというものである。今後も、トランプ氏にすり寄るかの姿勢を見せるためにオバマ氏をディスるというスタイルを用いる日本人(?)は、テンプレの如く一定比率で湧くものと思われるが、そのディテールに注意すれば、今後の国際社会の平和にとって、有益であるか有害であるかの見極めは、容易に付くものであろう。米外交問題評議会の報告も、戦争屋の懐をそれほど潤すことのなかったオバマ氏に対して汚名を着せるという「制裁」の意味合いが存在するものと考えて差し支えないであろう。この報告の意図に同調するか否かは、戦争屋であるか否かの試金石の一つであろう。

[1] さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」 (プレジデント) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170130-00021210-president-pol

[2] Politics, Power, and Preventive Action Obama's Final Drone Strike Data - Politics, Power, and Preventive Action
http://blogs.cfr.org/zenko/2017/01/20/obamas-final-drone-strike-data/