2017年3月27日月曜日

生存曲線の裏側には被害者の状態に対する暗黙の仮定が潜む

#痛ましい事件・事故の報道が多くなされている。本稿ではそれらの事件を想起させる内容を取扱うが、個々の事件・事故を取扱うことはしない。あくまで、報道関係者が正確に事物を理解できるよう、記述した内容である。正しい報道は、本来、多数の人々の見識を鍛え、今後において、同様の事件・事故の予防に資するはずである。本稿がそのための手段として機能することを願う。なお、この考えは、本稿に限らず、取扱う話題や一見した印象にかかわらず、本ブログにおける目的のひとつを構成している。

被害者発見までの事前所要時間が伸びると被害者の生存率が下がるという主張は、災害の被害者については、根拠がある。人間は、30秒間脳への酸素供給が制限されたり、(周囲の温度にもよるが、分の単位で)体温を維持できなかったり、72時間水を摂取できなかったりすると生命への危険が生じることから、それぞれのタイムリミットまでの間に、できるだけ早期に被害者を救出するなどして、それぞれの条件を満たすことは、被害者の生存に不可欠である。災害に係る生存曲線(survival curve)は、災害の被害者が生命の危険に直結する状態に置かれているとき、被害者の生存中に救出するための時限の目安を示す関数である。救出に要する時間を横軸(x軸)に、生存確率を縦軸に置く形で表現される。

災害発生後、72時間に救出のための資源を集中することが肝要となる。災害時、身動きのできない被害者の生存は、主に水の摂取が可能ではないという状態に掛かるためである。この間に救出隊員と装備を揃えることは、救出の要件であることから、救出までのリードタイムの短縮、資源の集中に努力が傾注されている。

#ふつうの日本人なら、自衛隊員までを含めた士業が災害対応に最大限に関与することは、当然視・賛成することであろうが、資源の適正配置という観点からは、災害の規模によっては、かなり大きなジレンマを生じることにもなる話である。人は、24時間起床していると、大幅に集中力を減じる。国際社会は、必ずしも災害につけ込まない国だけで構成されている訳ではないのである。つけ込まれないためにも、政府には的確な情報公開が必要となる。

大事なのは、生存曲線が業務改善のためのツールである、ということである。科学的な方法論で組み立てられてはいるものの、適用して良い場面には自ずから限界がある。この点に視聴者は注意しなければ、ありもしない因果関係を生存曲線の説明に読み込んでしまうことになる。その誤りが端的に表れるのが、誘拐犯罪についての生存曲線である。

誘拐犯罪の被害者についての生存曲線を作成することは、災害よりも困難であるし、進行中の事件の方向性をつかむ努力を怠ったままに既存の生存曲線を漫然と利用することは、戒められるべきである。念のため申し添えておくと、災害に係る生存曲線についても、被害者の捜索の打ち切りを考慮したり、行方不明者や他人に知られぬままに遭難する人物が生じることを考慮すれば、いずれかの方向に偏りを有するとしてもおかしくはない。それに、被害者の生存状態は、災害の進行に応じて大きく左右される。ただ、誘拐犯罪の被害者は、その態様や犯人の目的によって、生存しやすい状態に置かれて監禁されているのか、すでに殺されているのか、といった状態の異なり方が大きく、しかも、その状態は、事件の些細な推移によっても、災害以上に大きな影響を受ける。このため、誘拐犯罪の生存曲線は、事件の特徴を把握できないときに誘拐事件全体の傾向から得られたものを用いることがやむを得ないとしても、事件の性格を明らかにするよう努め、事件の性格に合致した生存曲線に置き換える必要がある。

この指摘を納得できない者は、生存曲線に潜む仮定である因果関係を密かに逆転させているという誤解を犯しているかも知れない。この誤解は、極端な状態では、誰でも「そりゃそうだ」と思えるものになる。それは、誘拐事件の被害者の発見時間をゼロに近付けることで、被害者の生存を最大化することができるという誤解である。因果関係の把握に努めぬままに生存曲線の示す数字を盲信する者は、結果から原因を推定するという条件付き確率※1の考え方に拠って生存曲線が制作されている、という基本的な仕組みを理解していないのである。もっとも、ここで生じている誤解は、犯罪を取扱う専門家にも散見される性質のものである。

この誤解は、本日(2017年3月27日19:00~)、テレビ朝日系で放映されていた世界のテレビ番組を紹介するという番組『トリハダスクープ映像100科ジテン 衝撃の実録映像3時間スペシャル』のうち、トルコ共和国で女性司会者が誘拐の被害者を追うというリアリティ番組において、端的に示されていた。事件発生後72時間が経過したとして司会者が焦っていた、なぜならば72時間後の生存率は4割を切るからだといった具合でナレーションが当てられていたが、この焦り自体は、何ら意味のないものである。事件の状況を把握するために必要な資源が投入されていたならば、生存曲線を前提とした焦りは不要である。司会者の焦りは、司会者の生存曲線に対する誤解に基づくものなのである。なお、このナレーションは、翻訳したものであろうと推認できたことも、申し添えておく。


なお、本日のテレビ朝日のCMには、森永製菓のCMがこれでもかとヘビーローテーションで放映されていた。森友疑惑が追及されている現在、理解できることとはいえ、これらのCMと引換えに、報道すべき内容が削られるとすれば、そこに脅迫罪の成立する余地があるように見えるのは、私だけであろうか。


※1 上掲の「条件付き確率」という表現では、正確さに欠くかも知れない。より厳密に記すよう努めれば、次の一文のようになろうか。「司法機関等の収集した、収集の適格要件を満た結果」である記録から「誘拐に伴う被害者の生存期間という原因」を推定するため、「近年の因果関係研究の進展に伴う形で拡充された、仮想反実的な条件付き確率」を計算したものである。その際、従来の生存曲線の制作者は、事例収集の完全性を前提とするか、被害者の生存と死亡が実験研究の結果として得られたものという仮定を置いて、生存曲線を算出している。

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