前回(2017年3月25日)の記事の続きである。前回は、現政権に見られる多数の問題の中から、森友学園疑惑だけが大々的に報道されている理由を考察した。要約すれば、森友疑惑の報道重点化は、ジャパン・ハンドラーズを中心とする戦争屋勢力の一部による、海外向けの宣伝である。首謀者は、自身らが日本政策の代理人として最適であると示威することをも目的としているであろう。この構図は、みかじめを支払わない店舗に対するヤクザの見せしめと同一である。
なお、お断りしておくと、今回の考察も、前回と同様、飯山一郎氏による、安倍晋三氏が戦争屋の軛を脱したとする主張を、私なりに考察した結果である。ただし、今回の考察も、飯山氏の主張の丸呑みでは決してない。現に、飯山氏の意見を批判的に検討した結果、安倍氏と戦争屋の関係の今後については、やはり異論がある。戦争屋と安倍氏の対立関係は、もはや後戻りできないまでに昂進したとまでは言えず、元の鞘に戻るという芽も残されていると見た方が安全である。ただ、その関係性の当否はともかく、どちらがマシかと問われれば、戦争屋陣営よりは、トランプ陣営下である限り、安倍氏の方が断然マシであるという点では、変わりない。
森友疑惑だけを殊更に報道することは、トランプ米大統領をも批判の射程に含むことになる。トランプ氏と安倍氏との仲が良いとされるためである。このため、「日本」のメディアが海外に本件疑惑を御注進するのは、国益を損ないうる行為である。ただ、どのメディアであるとは明記しないが、常に反政府的な姿勢を貫いてきたメディアの報道は、政治活動の一環とはいえ、筋が通ったものであるから、放置せざるを得ない。他方、五大紙の変節ぶりは凄まじく、全く評価できるものではない。内部で高給を食んでいると、本件報道に加担する自身らが、見せしめに店舗を叩き壊せと命じられて唯々諾々と従うチンピラと同様の存在であることを自覚できないのであろう。わが国の新聞業界は、「インテリが書いてヤクザが売る」と揶揄されてきたが、現時点では、売る側が真っ当な一方で、書く側がチンピラ未満である。大手新聞業のプリンシプルとは、その新聞が対象とする国を問わず、「剣を振りかざす金主」すなわち戦争屋に尻尾を振るということなのであろうか。
戦争屋を排除するために必要な措置を取らないまま、トランプ氏の駒となり得る安倍氏を蹴落とすことは、日米両国の国益にならない行為である。現状は、安倍氏がジャパン・ハンドラーズに立腹しているだけかも知れない。しかし、今後の安倍氏が戦争屋の犬であり続けるかもまた、未知数である。現状から出発するなら、今後の安倍氏とテロ等準備罪は、両方とも道具でしかない。道具は、使われ方こそが批判の対象となるべきである。トランプ氏は、戦争屋と対立してきているために、当然ながら、戦争屋の影響下にあった安倍氏を自らの影響下に置こうと働きかけてきたであろう。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、日本の統治システムが米国の強い影響下にあり、半植民地保護国と呼べる状態にあると指摘し、同時に、その状態を直視して改善することが日本の指導者層には困難であろうと述べていた(pp.222-223)。しかし、私は、彼の著書に接する以前から、個人的な体験に基づき、日本が米国の強い影響の下にあることを認めているし、むしろ、福島第一原発事故の終息につながるのであれば、指導者層が米国の忠実な番犬として振る舞うことを喜んで是認する。昨日に引き続いての『PayDay 2』ネタにもなり恐縮だが、福島第一原発事故にせよ、米国の影響下にあることにせよ、現時点のわが国において、これらの話題は「部屋の中のゾウ=公然の秘密(The Elephant in the room)」なのである。(蛇足:ゾウは米共和党のトレードマークでもある。)
#正確を期せば、わが国の刑法の解釈の幅は非常に広いため、ほぼすべての国民は、日常生活の中で犯罪となる行為に手を染めている(はずである。そうではない聖人君子には、お目にかかったことがない)。このため、テロ等準備罪が屋上屋を架すものであるという批判は、正当な指摘といえよう。ただ、この話とテロ等準備罪の両方は、ジャパン・ハンドラーズにも適用可能である。議論の焦点は、「テロ集団」を構成する具体的な人物名とその関係性にこそある。
今後のシナリオを3種に分類して検討すると、トランプ氏と安倍氏との人間関係が構築された現時点において、安倍氏を首相の座から排除しなければならない理由が存在しないことが分かる。日本国民にとって望みうる最善のシナリオは、今後の首相が誰であれ、能動的に国民本位の政治体制を築くことである。しかし、これには、不正選挙の防止のみならず、国民意識の大転換=メディア・リテラシーの成熟までが必要である。この条件は、百年河清を待つようなものである。次善は、アメリカ発・トップダウン型・ウィン=ウィンの現状改善であり、誰が首相であるにせよ、彼(女)が、戦争屋というブラック中間業者を経ずに、つまり中抜きで、トランプ政権から指示・助言を受けるというものである。この展開は、現状を前提としたときには日本国民が望みうる最善のものであるし、3.11の際にも(誰だか分からないが、そして誰だか良く分からないことこそが問題なのだが)米国人が官邸に出入りしていたという以上、当時の状態よりも遙かに健全である。第二次世界大戦後以後の歴史を直視すれば、米国の半植民地にあるという状態は、一人の日本国民が何ら恥じ入るべきことではない(が、政治家と国家公務員は、在職期間と地位と活動とに応じて、大いに恥じ入って良い)。なお、わが国において新自由主義者と呼ばれてきた者は、多くが戦争屋と重複するが、中抜きを良いことであると宣伝してきた。同じことは、彼らにも当てはまるが、自己責任というやつである。最後に悪いシナリオを述べれば、誰が首相であるにせよ、戦争屋の言いなりになる権力構造が再開されるというものである。安倍氏がトランプ氏の支援にかかわらず、戦争屋勢力を含めたマスコミの批判に屈したときは、この状態に陥ることになる。また、今後近い時期に選挙が行われ、たとえば、民進党が政権の座に返り咲いたときにも、不可解なことに原発推進勢力(=当面原発維持)がトップに就くということになろう。以上のシナリオを考慮すれば、トランプ氏の忠実な手下を務める限りという条件付きではあるが、戦争屋の言いなりになる連中をトップに据えるよりは、安倍氏の方がマシである。
トランプ氏は、大統領就任演説?において、中国・日本を含む他国民がアメリカを尊敬することになると述べたが、この語を信用するなら、日本の衰退まっしぐらという現状に対して、少なくとも日本国民の損にはならない政策を講じるであろう。現に、トランプ氏の構想は、田中角栄氏を想起させる「アメリカ大陸改造論」であるが、その恩恵は、従来のファンダメンタルズからすればあり得ない東証の株高にも及んでいる。この株高は、単なるバブルではなく、戦争による焼き畑型経済である「ショック・ドクトリン」からの脱却が図られつつあることを反映したものとも解釈できる。安倍氏にも、東証の株高がトランプ氏の政策のおかげであることは理解されていよう。東証の株高を自身の求心力として利用してきた安倍氏がトランプ氏に対して親近感を表明するのは、自然な成り行きである。株高は、年金運用にも思わぬ追い風をもたらしているとはされるから、国民全体の利益になっていない訳ではなかろう(。本点については、GPIFの報告書の文言は、このようには読めるとはいえ、運用の実際を詳しく知らないために、断言はできかねる)。反面、トランプ氏サイドは、安倍氏をカタにはめつつあるとも言える。
#サボり気味なので、今回、ついでに書き飛ばしてしまうと、マイケル・フリン氏の解任は、トランプ氏にとって確かに失点である。しかし、無用な血を流さないという信念は、戦争屋以外の軍人には共通するものであるから、取り返しのつかない失点ではない。それに、フリン氏自身が「Pizzagateに突破口を開くことは、自身の政治生命と引換えとなったとしても、後世に評価されるべきこと」と考えた可能性も残る。フリン氏が仮に出処進退を賭けて本件に取り組んだのだとすると、その行為は、日本国民からも尊敬を受けるべきものである。というのは、わが国においても『プチ・エンジェル』事件があったためである。同事件は、わが国にも同様の構図が存在すると考えて良い証拠である。児童買春(売ではなく)という犯罪の追求を通じた世界の変革がわが国に及んでいないという状態は、この商売がどの筋によって仕切られてきたのかを示す傍証である。このとき、日本国民は、フリン氏のPizzagateに係る行動がいかに困難なものであろうかということを、自国の事例から容易に看取することができるのである。
森友疑惑の報道を経て安倍氏が戦争屋の言いなりに戻ったり、衆議院の解散に踏み切ったりするのであれば、トランプ氏は、せっかくの日本政策の手駒を失うことになる。しかも、この駒は現役の首相である。日本国民が良好な対米政策を期すならば、安倍氏を挿げ替えたとしても良好な関係を構築可能な人材をトップに据えなければならないことになる。その人材には、もうひとつ条件がある。意地が悪い表現であるが、安倍氏とトランプ氏とを比較した場合、トランプ氏の方が格上であることは、自明過ぎることである(。私も情けない気持ちではある。しかし、安倍氏がトランプ氏を凌ぐほどの大人物であったとすれば、福島第一原発事故は生じていない。森友疑惑よりも、福島第一原発事故の電源喪失に係る安倍氏の責任問題の方が、明らかに重大である)。安倍氏の後任は、この明快な上下関係を変更しない人物でなければならない。日本の政治家の多くであれば、この上下関係を維持できるであろうが、万が一、(真の意味で)正当に選挙が実施され、国民が賢明な選択を行い、第一党となった政党が日本に山積する難題を解決可能な人物を首班に選出したとしよう。優秀な人物は、少なくとも、日米首脳の上下関係(ここでは米国が上)の格差を縮めてしまう虞がある。人間としての実力が近いと、国益が賭けられた交渉事は、面倒なものになる。双方が利益の極大化を目指す可能性が認められるためである。トランプ氏がメルケル氏を嫌う態度を見せる一つの理由は、彼女がタフな交渉人だでもあるからであろう。今回の疑惑を引くまでもなく、日本の政治家の背景には多くの利害関係者がいるために、なまじ優れた人物が首相の座に就くと、バックの人脈も変わり、難題山積の米国の政治にも手戻りが生じることにもなる。アメリカから見たときにさえ、日本の神輿は、今の軽い状態が都合良いのである。米国で凋落著しいハンドラーズの言いなりになる政治家がわが国で政権を握るくらいであれば、トランプ政権の言いなりになるという条件付きではあるが、両国の国民にとって、安倍氏の方が余程マシということになる。
#私がブログをサボって碌なことをしていないのかバレバレなのだが、ナショジオで米国(アリゾナ州)の麻薬問題が繰り返し報道され、腐敗したメキシコのカソリック神父や軍隊、堕落したCIAと軍高官が、両国のギャングとつるんで麻薬流通に手を染めるという映画が、A級・B級問わずに、多数放映されることは、ハンドラーズの凋落を示す傍証として挙げることができよう。日本国内でこれらの番組が報道されていることは、理解できる人には理解可能なメッセージという訳である。
2017年3月25日22時追記
上掲記事の執筆後、飯山一郎氏のウェブサイトの2017年3月24日の記事及び25日の記事を初めて閲覧した。上掲の私の記事は、学術論文として見た場合には、完全に後追いであるために価値を有さないことになるし、私の文章の方が遙かにポンコツである。とはいえ、コミュニケーションを取らないままに別のアタマで考察した結果が類似したものとなったことは、この種の見方が理論的に成立することを示す証拠と言えよう。ただし、安倍晋三氏の福島第一原発事故に対する理解については、飯山氏の見解よりも、私は遙かに悲観した見解を有している。最近の飯山氏による安倍晋三氏の評価は、きわめて能力に優れた人物というものであり、戦争屋の指示に拠らない独自の政策を構想するかのごとくに安倍氏を記述するものである。が、安倍氏の最近の行動を検証するに当たっては、安倍氏自身を「上にへつらい、下には過剰に厳しく、人の手柄を横取りする小人物の上司」として措定する方が、従来の行動と整合的であり、無難な解釈である。飯山氏の賞賛は、むしろ、「おだてりゃ何とやらも木に登る」効果を狙ったものと見ておいた方が良かろう。褒め殺し、という表現でもそこまで外してはいないであろう。
いずれにしても、日本国においては、福島第一原発事故に対する理解と対応・行動こそが、責任ある立場の人間にとっての試金石となることは、間違いないことである。事故当時の自民党政治家のうち、まともだったと後世に評価されるであろう人物は、河野太郎氏くらいであろう。(河野氏は、すでに、Wikileaksへの漏洩により、色々と取り沙汰されてしまっているため、評価が難しい状態にはなっているものの、それでも正当な評価を受けて然るべきである。)ほかに現在の自民党関係者と見做される人物のうち、福島第一原発事故について、好評価を受けうる人物は、事故後かなり遅れてのことになる上、利権の臭いも感じるし、公職を引退もしているが、小泉純一郎氏を加えることが可能なだけであろう(。小沢一郎氏とその弟子筋は、自民党で実力を発揮した政治家たちではあるが、事故前後からの政治的スタンスを考慮すれば、現・野党側の人物としてとらえるべきであろう。それだけに、事故直後の小沢氏本人の行動に対して、誹謗系週刊誌があることないことを吹聴していたことには、事実関係は措くとしても(、また、私は週刊誌側の示した事実関係に疑いを有したままであるが)、何らかの理由があるものと推測される)。ここで指摘するまでもないことであるが、現時点までの福島第一原発事故に係る安倍氏の発言と行動は、基本、すべてが、国民の生命と健康ならびに財産を保護する方向とは真逆のものであり、たとえば、非常電源喪失に係る答弁の責任を引き受けないものである。
2017年3月26日追記
以前(2016年11月18日)、安倍氏が大統領就任前のトランプ氏を訪問したことを受け、以下のように懸念を示したことがあるが、「日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディール」が今のところは不要であったかのように見える点、私は、日本国民にとって予測を良い方に外したことになる。その理由の大方は、トランプ氏側の厚遇するという方針にあったであろう。また、やはり、国同士の外交において筋目を通すという点では、このときの訪問は異例であったものの、佐藤優氏の指摘どおり、オバマ氏の後にトランプ氏と会談していたとすれば、トランプ氏の就任前に安倍氏が訪問したことは、正解であった可能性がある。この点を認めて、評価を変える必要があるであろう。あまりにも話す内容が多かったであろうし、情報漏洩の危険も認められたためである。もっとも、この会談の折に、安倍氏が何を話し、どのような話を聞いたのか、その内容を十分に理解したのか、といったディテールが分からなければ、依然として、一般人がこの会談の成果を正当に評価することはできないであろう。
クリントン氏とだけ安倍氏が会談していたという事実は、私自身が決して歓迎することではないが、安倍氏自身にも利用可能な事実である。日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディールにより、権力の維持を安倍氏が願い出るというケースを、日本国民は覚悟しておかなくてはならない。
2017年3月28日追記
田母神俊雄氏が南スーダンにおける自衛隊の任務の終了を受けて、次のようにツイートしている。その表現は、軍人が基本的に生命を大切にすることを示す。ただし、そのニュアンスは、パイロットの生命が費用面でも戦闘機より高くつくというように、置かれた状況によって微妙に異なるであろう。なお、田母神氏は、今後の国際情勢の変化に応じて、わが国の広義のセキュリティ産業に与えた影響について、評価が変わりうる人物である。キーワードは、自前主義である。田母神氏の自前主義に係る従来からの主張が自衛隊員の生命の保護を視野に含めたものであることは、一連のウェブ上の資料においては、一貫している。なお、自前主義の難しさは、ジオイントに係る論考(2016年2月1日)で一部触れたことがある。
南スーダンの日報問題で陸自が隠ぺいしたとか自衛隊に嫌疑がかけられているが陸自が隠ぺいして陸自に何の利益があるのか。南スーダンになんか行きたい自衛官はいない。戦闘があったら自衛隊は直ちに公表したいのだ。戦闘があったら撤退しなければならない。政治的事情がそれを隠ぺいしたのだと思う。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2017年3月26日
また、古歩道ベンジャミン氏が、「公安筋」から、今回の森友疑惑の仕掛け人のトップに小沢一郎氏がいるとの情報を得たと報じている(27日メルマガ)。この情報が正しいのであれば、(そして、私は、この情報のルートについて、非整合性を感じるが、)辻元清美氏が野田中央公園の整備構想に関与していたとするスピン情報は、正当性を持ち得ないということが近いうちに明確になるであろう。同公園の土地の所有権が豊中市であるなら、そこに投じられた金額の割合が通常の国と地方の関係からいえば、高いものであることは確かであるが、そこには何ら、国家を私物化したとの指摘は当たらないためである。都市計画手続上の瑕疵も、以下の豊中市議会建設水道常任委員会(平成22年10月12日)のやり取りの中では認められない。(都市計画のあり方が、2000(平成12)年以降、主に小泉政権の時代に、何でもありの度合いを強めたことは、都市計画に係る案件の正統性を論じるに辺り、理解しておくべきである。)
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