2017年3月27日月曜日

「善・悪」と「秩序・混沌」の二元配置は人間観の理解に便利である

私が身代を滅ぼす程度のゲーム中毒でもあることは、読者にはバレているところであろうが、今回は、その話である。とはいえ、本ブログの意図する内容と無関係の話ではない。安倍晋三氏が利己的な存在であることを、私がいかにキャラ付けしているかの説明である。飯山一郎氏が主張するように、利己的な存在が政治家であると仮定するならば、彼らの行動原理をとことん利己的なものとして解釈した方が、現在の森友疑惑の背景にある闘争を理解できるし、その行く末を期待を持たずに見守ることができようというものである。今回の話は、あくまで、より良い理解のための補助線である。

『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』というテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(略称TRPG)は、会話とルールブックとサイコロを道具立てとする、幻想世界を主な舞台とするゲームであり、RPGの嚆矢である。1960年代以降の心理学の発展を受けて、ロール・プレイがセラピーの一手法として確立したことをも受け、1974年に登場した。現在の(選択肢を有する)サウンドノベルの源流にあたるゲーム・ブックとともに、現在までに至るコンピュータRPGの原型を創造した。軍事学や防災訓練における図上演習は、実のところ、この辺の話とも関係を有する(が、この点に触れる防災研究者は、ほぼいない)。

#脱線。陰謀論マニアには、Steve Jackson Gamesの『Illuminati』のカードデッキは良く知られた存在であるが、Steve Jackson氏は、ゲーム・ブックの創生期に活躍した一人でもある。なお、『D&D』等のTRPGに対しては、登場以後、アメリカ国内では「悪魔のゲーム」という宗教的な批判も存在しており、これらの批判への対応のために理論化が図られたという、わが国とは異なる事情を作家・翻訳者の安田均氏が解説していた(はずである)。

本題。優れたゲームは、現実の理解にも役立てられるような方略を提供することがある。囲碁や将棋の例を見れば、優れたゲームが世界を現実に変えており、日中韓という問題含みの国際関係における友好関係にも役立っていることは、十分に理解できる。また、囲碁や将棋は、諺や慣用句といった形で文化上の大きな要素となっていることも言うまでもなかろう。私自身は、囲碁や将棋を嗜んではいないが、本段落のここまでの指摘は、そう外れたものではないだろう。今回の指摘は、『D&D』のルールに示されるキャラクターの性格設定も、現実の理解に役立つというものである。

『D&D』のキャラクターの性格設定である「アラインメント」(alignment)は、「秩序・中立・混沌」(lawful, neutral, chaotic)と「善・中立・悪」(good, neutral, evil)との2軸からなる9種類である。基本的には、この設定は変更されておらず、ゲームにおいて、プレイヤーがキャラクターを演じる際の指針(プリンシプル)をなしている。解釈には多少の差が見られるが、おおよそ「秩序~混沌」の軸は、法や既存の秩序に沿うか否かを意味しており、「善~悪」の軸は、キャラクターが利他的であるか自己本位であるかを指す。『Star Wars』エピソード4~6の帝国皇帝は、Lawful-Evilであるという説明をどこかで読んだ遠い記憶がある。ハン・ソロは、登場時はともかく、行動の全体を通じてみれば、Chaotic-Goodと説明されることになる。

実のところ、この二元配置モデルは、わが国の官僚の多数がLawful-Evilであることを説明する上で重宝する。外国の映画に見るような汚職警官も同じ枠に収めることができるし、映画的テンプレ上のナチス・ドイツや大日本帝国も同様である。場合によっては、彼らの一部は、自身に課せられたルールをも都合良く逸脱するので、Neutral-Evilであると説明できるかも知れない。いずれにしても、Lawful-Neutral-Chaoticの軸上の配置によって、看による捕虜の虐待の頻度(つまり組織内における逸脱行為の確率)などを表現することができるのである。Chaoticなら好き放題に虐待するであろうし、Lawfulなら自制が効くであろう。Neutralなら、状況次第であり、都合良く通達や要綱の解釈を曲げることもするであろう。近年の右派犯罪学等においては、日和見または機会主義(oppotunistic)という語が重要な地位を占めているが、日和見的なキャラクターは、Neutralに相当すると解釈しても良いであろう。

この二軸の組は、法匪という語を的確に位置付ける上でも役立つが、それだけではなく、日本人の組織人の大半が善を積極的に志向せず、他人にも強要しない一方で、秩序を志向する傾向がある(つまり、Lawfulではある)ということを表現する上で、非常に役立つ。また、「チームのため」を強要する人物が必ずしも善ではないことも示唆する。日本人の組織人には、かなりの割合でLawful-Neutralが含まれるのであり、Lawful-GoodやLawful-Evilは比較的少数派ではないか、という可能性が見込まれる。杓子定規とは、Lawful-Neutralか、Lawful-Evilを指す形容であり、ここに日本ならではの失敗に至る陥穽が潜んでいるようにも思うのである。組織内で語られる「個人としては良い人」という表現は、この二軸から生じるジレンマを部分的に表現するものである。郷原信郎氏の指摘であるが、「合法でありさえすれば何でもあり」症候群である。吉本隆明氏の思想も、この点を曲解されて、ビートたけし氏の「赤信号みんなで渡れば怖くない」の表現のように悪用される余地があったという点で、脆弱であり得ると評しうる。

わが国では、この二元配置のうち、Chaotic-Goodは個人の生き方として評価されない一方で、Lawful-Evilは「抜け目ない」などと評価される。この対立関係は、上掲したように『Star Wars』シリーズ(Ep.4~6)の世界観でもあるし、大資本が投じられた近年の多くのPCゲームの世界観でもある。この対立を煽る思想は、もちろん、「国際秘密力集団」の両建て構造に由来しよう。しかし、わが国では、『アノニマス』が渋谷でゴミ拾いするという行動に変質したことを鑑みれば、この対立関係は、幼少期以降に社会規範が内面化される過程において、すでに決着が付けられるよう、何らかの諸力が作用していると見て良いのであろう。3月22日のロンドンにおける自動車暴走事件は、テロ集団ネットワークの関与したテロ事件であると報じられており、その点自体については報道が嘘を吐いているということはないが、わが国においてより高い頻度で生じている故意の暴走事件は、いずれも犯人個人に由来する、自己本位のものである。

少々脱線する。赤木智彦氏は「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で、生活に由来する個人の閉塞感を、戦争への期待感へと転嫁する心性を説明していたが、この心性も、故意の暴走事件と同様、利己的な欲求に根差して全体の便益を減少させる点で、Evilである。赤木氏は、「けっきょく、『自己責任』 ですか」と題した批判への応答の中で、わが国では革命が成功しないという趣旨を述べているが、利己に駆動された革命が、利己思想の蔓延した社会で成功しないことは、当然である。功利主義的側面から赤木氏の提起した課題に対して誰かが回答しているのかは分かりかねるが、功利主義からみれば、赤木氏の提起した問題は非常に簡素なモデルで提示可能ということになる。いずれも後知恵であるが。

#さらに脱線。現状と比べると興味深いことであるが、Neutral-Neutralは、生き方の理想の一つとして確立されている。老荘思想と仏教における中庸思想、無常観に影響を受けているものと思われるが、『徒然草』から『雨ニモ負ケズ』まで、「なるようになるさ」「自然のままに生きる」志向は、日本人の人生観の中枢を占めるようにも思われる。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、窓際族・引きこもりなどの現象に触れてはいるが、この状態を成立させる上での重大要因である無常観・諦観への言及が欠落しており、日本人の問題発生時において行動を駆動させる原理の主要部分を見落としたものともなっている。逆を言えば、この伝統的で強固な社会観に着目した優れた研究が存在していないか、マーフィー氏が見落としたことになる。もちろん、この種の諦観は、研究を「机の抽斗効果」(desk-drawer effect)に向かわせる諸力と親和的である。「登載されるか放逐されるか」(publish or perish)なんて考え方は、肉食系過ぎて、草食系の考え方である無常観とは、対極にある。

官僚の多数がEvilであることは、彼らの提起する政策が、基本的には狭いコミュニティを利するものでしかないという点から証明することができる。福島第一原発事故は、この構造・傾向をより顕著にしている。たとえば、「食べて応援」という施策は、受益者が汚染地域の生産者・買い叩く流通業者・汚染地域での生産を制限することにより批判を受けることがない政策立案者・政治家である一方で、負担者は国民一般である。東京電力という企業の救済も同様である。いずれも、最終的には、立案に関与した官僚らの個人責任を回避し、天下りを可能にするという点で自己の利益を維持・増進するものであると言える。なお、利己的であるという特徴=プリンシプルは、容易に囚人のジレンマに陥るものである。つまり、便益全体の最大化を図ることが苦手あるいは不可能という結果に至るものである。

善悪の定義を功利主義ふうに解釈する(=利他・利己に区別する)という『D&D』のアラインメントというルールは、何だか世界をも説明できた気になるため、特に学術上の根拠がないものとはいえ、ついつい濫用してしまう。濫用の例を挙げれば、安倍晋三氏は、私の中では、Neutral-Evilである。何だったらカオティックである。悪(Evil)が自己本位というところがミソであろう。自分勝手という語は、Lawful-Evilという性格を的確に連想させる表現ではない。また、「他者の便益の増進を図る」という功利主義的な表現は、人情味のないものに聞こえるが、これが善(Good)ということになる。

人間の行動に係る人間の理解(この分野を扱う学問は、行動科学に限られない。たとえば、宗教学や文学や美術や哲学も。)は、何だかんだ言って発展しているので、その影響をゲームが受けないわけでもない。逆に、ゲームの多くは、現実を抽象化=モデル化したものであるから、そのモデル化が成功したものであるとき、現実へのフィードバックが生じるのも当然である。現実を説明する、つまりモデル化する上でもゲームは有用という訳である。もうそろそろ半世紀を迎えようとしている(その根はパルプ・フィクションにあるので、根源自体は一世紀を迎えるということになるのかも知れないが)古典的ゲームが、これだけ類似のゲームが氾濫する中でも残り続けているのには、理由がないわけではない。もっと明け透けに言えば、ユングやフロイトよりも、よほど人間の行動原理を縮約して説明できている点、優秀であると主張することもできよう。イドとかエゴって何よ?モデルとしては全然エレガントじゃねえよ、という訳である。

最後であるが、森友疑惑の構図について。『D&D』のゲームをベースとする小説『ドラゴンランス戦記』シリーズ(英語だと3部作)の末尾には、「悪は、お互いに食い合う」のような表現が出てきたはずである(。正確に覚えていられないのが、私のクオリティであるし、ネタバレは申し訳ない)。現状の森友疑惑が噴出した後の関係者の行動には、自己保存行動という語が最も当てはまる。とすれば、ジャパン・ハンドラーズと仲違いした今後、国民益の増進という崇高な理念に根差した行動を安倍氏が取ると期待するよりも、感情に基づく闘争が単に継続すると見た方が妥当であろう。ただ、この感情のもつれから生じた混乱に乗じて、福島第一原発事故を終息させる対策に安倍氏自身が本腰を入れるとすれば、マッチポンプとも批判されるかもしれないが、安倍氏は、本当に歴史に残ることとなろう。飯山氏のごく最近の安倍氏ヨイショはこの大転換を狙ったものであると、飯山氏の主張を私は好意的に解釈している。きわめて分の悪い賭けだとは考えるが。

2017年3月25日土曜日

森友学園疑惑の追及とジャパン・ハンドラーズ抜きの日米関係とを比較すると後者の重要性が高い

前回(2017年3月25日)の記事の続きである。前回は、現政権に見られる多数の問題の中から、森友学園疑惑だけが大々的に報道されている理由を考察した。要約すれば、森友疑惑の報道重点化は、ジャパン・ハンドラーズを中心とする戦争屋勢力の一部による、海外向けの宣伝である。首謀者は、自身らが日本政策の代理人として最適であると示威することをも目的としているであろう。この構図は、みかじめを支払わない店舗に対するヤクザの見せしめと同一である。

なお、お断りしておくと、今回の考察も、前回と同様、飯山一郎氏による、安倍晋三氏が戦争屋の軛を脱したとする主張を、私なりに考察した結果である。ただし、今回の考察も、飯山氏の主張の丸呑みでは決してない。現に、飯山氏の意見を批判的に検討した結果、安倍氏と戦争屋の関係の今後については、やはり異論がある。戦争屋と安倍氏の対立関係は、もはや後戻りできないまでに昂進したとまでは言えず、元の鞘に戻るという芽も残されていると見た方が安全である。ただ、その関係性の当否はともかく、どちらがマシかと問われれば、戦争屋陣営よりは、トランプ陣営下である限り、安倍氏の方が断然マシであるという点では、変わりない。

森友疑惑だけを殊更に報道することは、トランプ米大統領をも批判の射程に含むことになる。トランプ氏と安倍氏との仲が良いとされるためである。このため、「日本」のメディアが海外に本件疑惑を御注進するのは、国益を損ないうる行為である。ただ、どのメディアであるとは明記しないが、常に反政府的な姿勢を貫いてきたメディアの報道は、政治活動の一環とはいえ、筋が通ったものであるから、放置せざるを得ない。他方、五大紙の変節ぶりは凄まじく、全く評価できるものではない。内部で高給を食んでいると、本件報道に加担する自身らが、見せしめに店舗を叩き壊せと命じられて唯々諾々と従うチンピラと同様の存在であることを自覚できないのであろう。わが国の新聞業界は、「インテリが書いてヤクザが売る」と揶揄されてきたが、現時点では、売る側が真っ当な一方で、書く側がチンピラ未満である。大手新聞業のプリンシプルとは、その新聞が対象とする国を問わず、「剣を振りかざす金主」すなわち戦争屋に尻尾を振るということなのであろうか。

戦争屋を排除するために必要な措置を取らないまま、トランプ氏の駒となり得る安倍氏を蹴落とすことは、日米両国の国益にならない行為である。現状は、安倍氏がジャパン・ハンドラーズに立腹しているだけかも知れない。しかし、今後の安倍氏が戦争屋の犬であり続けるかもまた、未知数である。現状から出発するなら、今後の安倍氏とテロ等準備罪は、両方とも道具でしかない。道具は、使われ方こそが批判の対象となるべきである。トランプ氏は、戦争屋と対立してきているために、当然ながら、戦争屋の影響下にあった安倍氏を自らの影響下に置こうと働きかけてきたであろう。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、日本の統治システムが米国の強い影響下にあり、半植民地保護国と呼べる状態にあると指摘し、同時に、その状態を直視して改善することが日本の指導者層には困難であろうと述べていた(pp.222-223)。しかし、私は、彼の著書に接する以前から、個人的な体験に基づき、日本が米国の強い影響の下にあることを認めているし、むしろ、福島第一原発事故の終息につながるのであれば、指導者層が米国の忠実な番犬として振る舞うことを喜んで是認する。昨日に引き続いての『PayDay 2』ネタにもなり恐縮だが、福島第一原発事故にせよ、米国の影響下にあることにせよ、現時点のわが国において、これらの話題は「部屋の中のゾウ=公然の秘密(The Elephant in the room)」なのである。(蛇足:ゾウは米共和党のトレードマークでもある。)

#正確を期せば、わが国の刑法の解釈の幅は非常に広いため、ほぼすべての国民は、日常生活の中で犯罪となる行為に手を染めている(はずである。そうではない聖人君子には、お目にかかったことがない)。このため、テロ等準備罪が屋上屋を架すものであるという批判は、正当な指摘といえよう。ただ、この話とテロ等準備罪の両方は、ジャパン・ハンドラーズにも適用可能である。議論の焦点は、「テロ集団」を構成する具体的な人物名とその関係性にこそある。

今後のシナリオを3種に分類して検討すると、トランプ氏と安倍氏との人間関係が構築された現時点において、安倍氏を首相の座から排除しなければならない理由が存在しないことが分かる。日本国民にとって望みうる最善のシナリオは、今後の首相が誰であれ、能動的に国民本位の政治体制を築くことである。しかし、これには、不正選挙の防止のみならず、国民意識の大転換=メディア・リテラシーの成熟までが必要である。この条件は、百年河清を待つようなものである。次善は、アメリカ発・トップダウン型・ウィン=ウィンの現状改善であり、誰が首相であるにせよ、彼(女)が、戦争屋というブラック中間業者を経ずに、つまり中抜きで、トランプ政権から指示・助言を受けるというものである。この展開は、現状を前提としたときには日本国民が望みうる最善のものであるし、3.11の際にも(誰だか分からないが、そして誰だか良く分からないことこそが問題なのだが)米国人が官邸に出入りしていたという以上、当時の状態よりも遙かに健全である。第二次世界大戦後以後の歴史を直視すれば、米国の半植民地にあるという状態は、一人の日本国民が何ら恥じ入るべきことではない(が、政治家と国家公務員は、在職期間と地位と活動とに応じて、大いに恥じ入って良い)。なお、わが国において新自由主義者と呼ばれてきた者は、多くが戦争屋と重複するが、中抜きを良いことであると宣伝してきた。同じことは、彼らにも当てはまるが、自己責任というやつである。最後に悪いシナリオを述べれば、誰が首相であるにせよ、戦争屋の言いなりになる権力構造が再開されるというものである。安倍氏がトランプ氏の支援にかかわらず、戦争屋勢力を含めたマスコミの批判に屈したときは、この状態に陥ることになる。また、今後近い時期に選挙が行われ、たとえば、民進党が政権の座に返り咲いたときにも、不可解なことに原発推進勢力(=当面原発維持)がトップに就くということになろう。以上のシナリオを考慮すれば、トランプ氏の忠実な手下を務める限りという条件付きではあるが、戦争屋の言いなりになる連中をトップに据えるよりは、安倍氏の方がマシである。

トランプ氏は、大統領就任演説?において、中国・日本を含む他国民がアメリカを尊敬することになると述べたが、この語を信用するなら、日本の衰退まっしぐらという現状に対して、少なくとも日本国民の損にはならない政策を講じるであろう。現に、トランプ氏の構想は、田中角栄氏を想起させる「アメリカ大陸改造論」であるが、その恩恵は、従来のファンダメンタルズからすればあり得ない東証の株高にも及んでいる。この株高は、単なるバブルではなく、戦争による焼き畑型経済である「ショック・ドクトリン」からの脱却が図られつつあることを反映したものとも解釈できる。安倍氏にも、東証の株高がトランプ氏の政策のおかげであることは理解されていよう。東証の株高を自身の求心力として利用してきた安倍氏がトランプ氏に対して親近感を表明するのは、自然な成り行きである。株高は、年金運用にも思わぬ追い風をもたらしているとはされるから、国民全体の利益になっていない訳ではなかろう(。本点については、GPIFの報告書の文言は、このようには読めるとはいえ、運用の実際を詳しく知らないために、断言はできかねる)。反面、トランプ氏サイドは、安倍氏をカタにはめつつあるとも言える。

#サボり気味なので、今回、ついでに書き飛ばしてしまうと、マイケル・フリン氏の解任は、トランプ氏にとって確かに失点である。しかし、無用な血を流さないという信念は、戦争屋以外の軍人には共通するものであるから、取り返しのつかない失点ではない。それに、フリン氏自身が「Pizzagateに突破口を開くことは、自身の政治生命と引換えとなったとしても、後世に評価されるべきこと」と考えた可能性も残る。フリン氏が仮に出処進退を賭けて本件に取り組んだのだとすると、その行為は、日本国民からも尊敬を受けるべきものである。というのは、わが国においても『プチ・エンジェル』事件があったためである。同事件は、わが国にも同様の構図が存在すると考えて良い証拠である児童買春(売ではなく)という犯罪の追求を通じた世界の変革がわが国に及んでいないという状態は、この商売がどの筋によって仕切られてきたのかを示す傍証である。このとき、日本国民は、フリン氏のPizzagateに係る行動がいかに困難なものであろうかということを、自国の事例から容易に看取することができるのである

森友疑惑の報道を経て安倍氏が戦争屋の言いなりに戻ったり、衆議院の解散に踏み切ったりするのであれば、トランプ氏は、せっかくの日本政策の手駒を失うことになる。しかも、この駒は現役の首相である。日本国民が良好な対米政策を期すならば、安倍氏を挿げ替えたとしても良好な関係を構築可能な人材をトップに据えなければならないことになる。その人材には、もうひとつ条件がある。意地が悪い表現であるが、安倍氏とトランプ氏とを比較した場合、トランプ氏の方が格上であることは、自明過ぎることである(。私も情けない気持ちではある。しかし、安倍氏がトランプ氏を凌ぐほどの大人物であったとすれば、福島第一原発事故は生じていない。森友疑惑よりも、福島第一原発事故の電源喪失に係る安倍氏の責任問題の方が、明らかに重大である)。安倍氏の後任は、この明快な上下関係を変更しない人物でなければならない。日本の政治家の多くであれば、この上下関係を維持できるであろうが、万が一、(真の意味で)正当に選挙が実施され、国民が賢明な選択を行い、第一党となった政党が日本に山積する難題を解決可能な人物を首班に選出したとしよう。優秀な人物は、少なくとも、日米首脳の上下関係(ここでは米国が上)の格差を縮めてしまう虞がある。人間としての実力が近いと、国益が賭けられた交渉事は、面倒なものになる。双方が利益の極大化を目指す可能性が認められるためである。トランプ氏がメルケル氏を嫌う態度を見せる一つの理由は、彼女がタフな交渉人でもあるからであろう。今回の疑惑を引くまでもなく、日本の政治家の背景には多くの利害関係者がいるために、なまじ優れた人物が首相の座に就くと、バックの人脈も変わり、難題山積の米国の政治にも手戻りが生じることにもなる。アメリカから見たときにさえ、日本の神輿は、今の軽い状態が都合良いのである。米国で凋落著しいハンドラーズの言いなりになる政治家がわが国で政権を握るくらいであれば、トランプ政権の言いなりになるという条件付きではあるが、両国の国民にとって、安倍氏の方が余程マシということになる。

#私がブログをサボって碌なことをしていないのかバレバレなのだが、ナショジオで米国(アリゾナ州)の麻薬問題が繰り返し報道され、腐敗したメキシコのカソリック神父や軍隊、堕落したCIAと軍高官が、両国のギャングとつるんで麻薬流通に手を染めるという映画が、A級・B級問わずに、多数放映されることは、ハンドラーズの凋落を示す傍証として挙げることができよう。日本国内でこれらの番組が報道されていることは、理解できる人には理解可能なメッセージという訳である。




2017年3月25日22時追記

上掲記事の執筆後、飯山一郎氏のウェブサイトの2017年3月24日の記事及び25日の記事を初めて閲覧した。上掲の私の記事は、学術論文として見た場合には、完全に後追いであるために価値を有さないことになるし、私の文章の方が遙かにポンコツである。とはいえ、コミュニケーションを取らないままに別のアタマで考察した結果が類似したものとなったことは、この種の見方が理論に成立することを示す証拠と言えよう。ただし、安倍晋三氏の福島第一原発事故に対する理解については、飯山氏の見解よりも、私は遙かに悲観した見解を有している。最近の飯山氏による安倍晋三氏の評価は、きわめて能力に優れた人物というものであり、戦争屋の指示に拠らない独自の政策を構想するかのごとくに安倍氏を記述するものである。が、安倍氏の最近の行動を検証するに当たっては、安倍氏自身を「上にへつらい、下には過剰に厳しく、人の手柄を横取りする小人物の上司」として措定する方が、従来の行動と整合的であり、無難な解釈である。飯山氏の賞賛は、むしろ、「おだてりゃ何とやらも木に登る」効果を狙ったものと見ておいた方が良かろう。褒め殺し、という表現でもそこまで外してはいないであろう。

いずれにしても、日本国においては、福島第一原発事故に対する理解と対応・行動こそが、責任ある立場の人間にとっての試金石となることは、間違いないことである。事故当時の自民党政治家のうち、まともだったと後世に評価されるであろう人物は、河野太郎氏くらいであろう。(河野氏は、すでに、Wikileaksへの漏洩により、色々と取り沙汰されてしまっているため、評価が難しい状態にはなっているものの、それでも正当な評価を受けて然るべきである。)ほかに現在の自民党関係者と見做される人物のうち、福島第一原発事故について、好評価を受けうる人物は、事故後かなり遅れてのことになる上、利権の臭いも感じるし、公職を引退もしているが、小泉純一郎氏を加えることが可能なだけであろう(。小沢一郎氏とその弟子筋は、自民党で実力を発揮した政治家たちではあるが、事故前後からの政治的スタンス考慮すれば、現・野党側の人物としてとらえるべきであろう。それだけに、事故直後の小沢氏本人の行動に対して、誹謗系週刊誌があることないことを吹聴していたことには、事実関係は措くとしても(、また、私は週刊誌側の示した事実関係に疑いを有したままであるが)、何らかの理由があるものと推測される)。ここで指摘するまでもないことであるが、現時点までの福島第一原発事故に係る安倍氏の発言と行動は、基本、すべてが、国民の生命と健康ならびに財産を保護する方向とは真逆のものであり、たとえば、非常電源喪失に係る答弁の責任を引き受けないものである。




2017年3月26日追記

以前(2016年11月18日)、安倍氏が大統領就任前のトランプ氏を訪問したことを受け、以下のように懸念を示したことがあるが、「日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディール」が今のところは不要であったかのように見える点、私は、日本国民にとって予測を良い方に外したことになる。その理由の大方は、トランプ氏側の厚遇するという方針にあったであろう。また、やはり、国同士の外交において筋目を通すという点では、このときの訪問は異例であったものの、佐藤優氏の指摘どおり、オバマ氏の後にトランプ氏と会談ていたとすれば、トランプ氏の就任前に安倍氏が訪問したことは、正解であった可能性がある。この点を認めて、評価を変える必要があるであろう。あまりにも話す内容が多かったであろうし、情報漏洩の危険も認められたためである。もっとも、この会談の折に、安倍氏が何を話し、どのような話を聞いたのか、その内容を十分に理解したのか、といったディテールが分からなければ、依然として、一般人がこの会談の成果を正当に評価することはできないであろう。

クリントン氏とだけ安倍氏が会談していたという事実は、私自身が決して歓迎することではないが、安倍氏自身にも利用可能な事実である。日本国民の大多数にとって過剰に不公正なディールにより、権力の維持を安倍氏が願い出るというケースを、日本国民は覚悟しておかなくてはならない。



2017年3月28日追記

田母神俊雄氏が南スーダンにおける自衛隊の任務の終了を受けて、次のようにツイートしている。その表現は、軍人が基本的に生命を大切にすることを示す。ただし、そのニュアンスは、パイロットの生命が費用面でも戦闘機より高くつくというように、置かれた状況によって微妙に異なるであろう。なお、田母神氏は、今後の国際情勢の変化に応じて、わが国の広義のセキュリティ産業に与えた影響について、評価が変わりうる人物である。キーワードは、自前主義である。田母神氏の自前主義に係る従来からの主張が自衛隊員の生命の保護を視野に含めたものであることは、一連のウェブ上の資料においては、一貫している。なお、自前主義の難しさは、ジオイントに係る論考(2016年2月1日)で一部触れたことがある。

また、古歩道ベンジャミン氏が、「公安筋」から、今回の森友疑惑の仕掛け人のトップに小沢一郎氏がいるとの情報を得たと報じている(27日メルマガ)。この情報が正しいのであれば、(そして、私は、この情報のルートについて、非整合性を感じるが、)辻元清美氏が野田中央公園の整備構想に関与していたとするスピン情報は、正当性を持ち得ないということが近いうちに明確になるであろう。同公園の土地の所有権が豊中市であるなら、そこに投じられた金額の割合が通常の国と地方の関係からいえば、高いものであることは確かであるが、そこには何ら、国家を私物化したとの指摘は当たらないためである。都市計画手続上の瑕疵も、以下の豊中市議会建設水道常任委員会(平成22年10月12日)のやり取りの中では認められない。(都市計画のあり方が、2000(平成12)年以降、主に小泉政権の時代に、何でもありの度合いを強めたことは、都市計画に係る案件の正統性を論じるに辺り、理解しておくべきである。)

2017年3月24日金曜日

数ある疑惑の中から森友学園疑惑をチョイスしたのは外国向けを意図したのであろう

いわゆる森友(学園)疑惑、別名アッキード疑惑に係る籠池泰典(泰博)氏の証人喚問が昨日(2017年3月23日)行われた。しかしなぜ、掃いて捨てるほどある(はずの)疑惑の数々の中から、本件が大きくクローズアップされたのであろうか。私は、海外向けの報道も見込んでいるから、という一応の答えを用意してみている。本疑惑は、安倍氏を超国家主義者として描写するという効果を持つものであり、国内向けよりも海外向けに適する。このため、本件が放逐された旧米国戦争屋の仕込みであるとする飯山一郎氏とその仲間たちの見立ては、おそらく正しい。しかし、安倍晋三氏が日本の国益のために舵を切ったとする飯山氏らの見立ては、安倍氏が単に感情的に自己のためだけに動いているという可能性を(故意にかも知れないが)除外したものである。本稿では、まとまりなく、この点をメモしておきたい。

現在では、確かに、従来のわが国に係る戦争屋連中の一部(ジャパン・ハンドラーズ、清和会系の自民党、松下政経塾系の民進党、日本維新の会、公明党、日米合同委員会に所属してきた売国官僚、マスコミ政治部)と安倍氏は、仲間割れした状態にある。ここまでは事実として認めて良いであろう。しかし、この現状は単なる偶然の産物であり、その原因は安倍氏が感情のままに動いたことにあるのではないか。

#2017年3月25日追記・訂正:従来の方針とは異なるが、今回については、戦争屋連中のうち、明らかに森友疑惑に関連して、仲違いしている勢力を具体的に記述する価値を認めたために、特記した。その過程において、本疑惑に関係した一部上場企業の活動の詳細が私には分かりかねるため、戦争屋連中と名指しした状態を訂正した。(お詫びの必要はないものと考える。)

昨年9月、安倍氏は、米大統領選候補のクリントン氏とだけ会見した。この経緯は、ハンドラーズの主張を丸呑みしたものであろう。安倍氏は、トランプ氏当選の報に接して、自身の面子を潰されたと憤るとともに、自身の地位に対して不安を感じたことであろう。外務官僚に責任を転嫁するだけでは飽き足らず、ハンドラーズに対しても、大嘘吐きやがってと恨んだであろう。安倍氏が感情的に振る舞う姿は、非常に多くの実例を認めることができる。ハンドラーズと面会しなくなったのは、単に、安倍氏がハンドラーズへの怒りを収めることができていないためであろう。ハンドラーズにとっては都合の悪いことに、安倍氏がトランプ氏に慌ててすり寄ったところ、トランプ氏のチームは、深謀遠慮ゆえであろうが、安倍氏を歓待した。思いがけない厚遇を受けた安倍氏が、その結果を自身の太鼓持ち能力によるものと誤解して、今後も中抜き(=ハンドラーズ抜き)で行くと決めたとしても、それほど不自然ではない。

森友疑惑は、この安倍氏にとっての「棚ぼた」を制裁するため、海外に向けても報道するため、用意されたものであろう。かねてから準備されてきた数あるスキャンダルのうち、トランプ氏へもダメージを与えるべく、海外向けのネタが選択されたと考えられる。ハンドラーズは、大日本帝国の復活を企図する連中と安倍氏夫妻の仲が良いことをあげつらうと同時に、その安倍氏とトランプ氏の仲が良い、とディスりたいのであろう。このような構図でハンドラーズが誹謗することは、(ハンドラーズには与しないが)米国の良心を自認する層に対して、安倍氏の首を挿げ替えることを訴えると同時に、ハンドラーズ自身の工作能力を日米双方の関係者に対して誇示する上で役に立つものと考えられる。この構図は、ヤクザが自身の実力を誇示するために、みかじめ料の支払いを拒んだ店舗を叩き壊すというものに酷似している。

#脱線するが、『PayDay 2』というFPSゲーム(First-person shooter, 3D画面内でプレイヤー視点から敵を撃つゲーム)には、ロシアンマフィアへの支払いを拒んだショッピングモールの窓ガラスを50000ドル分叩き壊すというミッションが含まれている。このゲームのミッション(Job)のあらすじは、ほかのものもセンスが良いと思う。が、ステルスゲームとしては出来が悪い。色々な理由があるとは思うが、認知心理学や人間工学の知見を手がかりにプレイすると、とても酷い目に遭う。

ハンドラーズ以下の一味が森友疑惑を取り上げるという示威行為は、以上のように、日米双方の国家指導者に向けて用意されたものである場合には、ハンドラーズが所属する国家の主権者への承認を取り付けた上での行動ではないがゆえに、国家の根本を揺るがすものである。つまりは、米日の両国民にとって、わが国の刑法にいう外患誘致となる。(主に、米国民に対して、わが国における外患罪に相当する内容を有するがゆえに、このような順番で表記した。)この点をふまえるならば、東京地検特捜部の政治家に対する今後の動きは、彼らの政治的な活動と立ち位置を明らかにするものになろう。(この指摘に対する答えは、自明なものではあるが、繰り返しておいて損はなかろう。)

G20に際して、トランプ氏とメルケル氏の会談、メルケル氏と安倍氏の会談が大きく報道されたという事実は、ほかに存在する疑惑ではなく、森友疑惑こそが海外向けに報道されねばならなかった理由を補強する。ハンドラーズの習性に通じた観察者であれば、なぜ疑惑が森友疑惑でなければならなかったのかは、この点からも説明可能である。彼らハンドラーズの中では、西のナチス・ドイツ、東の大日本帝国は、永遠の敵役である。ドイツの現指導者はナチスと決別したのに、日本の現指導者は大日本帝国と決別できていないと誹謗しつつ、その大日本帝国の継承者と現在の米大統領との仲が良いと指摘する連中は、結局のところ、トランプ大統領を誹謗したいのである。戦争屋が他人を誹謗するとき、ナチス・ドイツと同類扱いするという方法がしばしば用いられる。この特性は、そのように訓練を受けているからと考えるのが適当であろう。悪をなす方法は、悪を積極的になしても制裁を受けないコミュニティにおいてしか、維持・継承されないのである。なお、ナチス・ドイツの人種差別観念は、実のところ、戦争屋の思想にこそ継承されている。でなければ、戦争屋連中により、朝鮮戦争やベトナム戦争が惹起されたことの説明がつかない。

#なお、ドイツ国民には申し訳ないが、願わくば、ハンドラーズの文脈上で日本とドイツが永遠の敵役であり続けて欲しいものである。第三次世界大戦など不要である。また、アメリカから見れば、日本は西にあるのだが、ここでは色々と承知の上で、このように記している。もののついで。アンゲラ・メルケル氏は、安倍氏のように極右と受け止められるような言動を報じられたことがないが、トランプ氏を当選させる原動力となった米国の愛国系ニュースサイトにおいて、複数、父親に係る疑惑を報じられてきている。この構図は、随分と捻れたものである。ナチというシンボルの押し付け合いである。

安倍氏とハンドラーズ連中との仲違いが国益を考慮した結果ではないという推測は、今後、この騒動が結局は国民の利益にならないという懸念を抱かせる材料である。繰り返しになるが、安倍氏が心を入れ替えて戦争屋と袂を分かったと見るよりも、面子を潰されたと感じた安倍氏がハンドラーズの面会を拒んでいると考えた方が、よほど整合的である。大人物同士が相通じるのと同様、小人物にも小人物を嗅ぎ分ける力がある。一介の小人物である私からみて、安倍氏の心性は、典型的な小人物のものであるように思えて仕方ない。器の小さな上司がキレる場面を想起すれば、安倍晋三氏の状況は見事に説明できるのである。このような構図まで見抜いた上で、戦争屋同士の内ゲバを誘うために安倍氏を厚遇したとすれば、トランプ氏のチームは、アメリカの国政を担うに相応しいだけの力量を備えているのであろう。米国民からすれば、ヒュミントの好事例ということになる。日本国民からすれば、本件の評価を定めることはまだ難しいであろう。

#おまけ。本日朝日の朝刊の解説を見る限り、デーブ・スペクター氏は以前からの論調を転換したようにも読めてしまう。ロックフェラーの三代目の死亡といい、世界は確かに変わりつつある。

2017年2月7日火曜日

トランプ大統領の入国制限政策を批判する日本人研究者は、自らの所属する組織を正してから批判すべきである

題名で主張をすべて言い尽くしたので、おしまいでも良いが、ここでは、研究者の受入に伴う人物同定については、日本の大学も他国の批判を行うことができないことを指摘するため、報道された事例を元に、論拠となる事件を3件挙げておきたい。1件目は酒田短期大学(の留学生)、2件目は佐賀大学(大学院の留学生)、3件目は立命館アジア太平洋大学の教員の件である。おまけに4件目として、私の卒業(了)した学科での事件を挙げることができる。1・2・4件目は、大学院重点化と外国人留学生受入れ増加に伴う弊害であるとともに、テロ(4件目)や犯罪(1・2件目)への関与が疑われた事件に過ぎないが、3件目は比較的新しく、しかも邦人テロという甚大な実害が生じている事件について、教員の関与が濃厚に疑われているために、特筆されるべきである。この事件に触れないまま、トランプ政権の施策を批判する研究者がいるとすれば、その人物は研究者としての素養を欠くと批判されてもやむを得ないであろう。余分(で私の将来に不利)な物言いであることを承知で指摘するが、私の中では、安全を冠する研究分野についての立命館大学(グループ)のあり方は、相当に悪印象である。



本文よりはるかに長いおまけ

蛇足となるが、多国籍(=無国籍)巨大IT企業の経営陣がトランプ政権に対して批判的である原因は、海外からの優秀な人材供給が制限されるという事情にもよるであろうが、大学等の高等教育・研究機関とは異なる理由も併せ持つであろう。つまり、人材供給難だけが現状の批判に至る原因となっていないと考えられる。大統領選挙戦における反トランプ氏キャンペーンに深く関与していたことが認められる企業が含まれるためである。現時点に至る経緯を見れば、トランプ政権とこれらの大企業との間には、ヤクザチックな表現であるが、手打ちが必要なはずである。ゆえに、アメリカを代表するようなIT系大企業からの現在進行形の批判は、現政権サイドとの何らかの了解の下に進められていると考えることも、無理筋ではない。この可能性を示す兆候と、この双方の了解という状態の生み出す影響は、インテリジェンス業界に属するものである。本点については、私の方法がオシントに分類されるものであるとしても、これ以上の調査を進めるつもりはない。ただ、報道のあり方に違和感があるというのみである。

ここまでに指摘した材料を揃えた上で、職業集団を全体として評価してみれば、日本人研究者たちは、政治的な観点から、安全と名の付く分野については、昨今の安保関連法案反対の署名を除けば、賢明な表現活動・社会活動を進めてきたとはいえない。その割には、アメリカ国内において支出される100分の1程度の端金で、4周遅れくらいのレベルの防衛研究に手を染めようとしている。むしろ、外交研究とサイバー防衛(防衛のみ)にカネを突っ込むべきである。防衛研究については、田母神俊雄氏の公訴に係る恣意性を正すことができなければ、わが国にはフリーハンドがないものと考えるべきである。サイバー防衛については、TRON OSのテコ入れとWindows機の公的機関の重要部分からの排除を実現できなければ、やはりフリーハンドはないものと考えるべきである。ここでは、あえて極論を記してみたが、このような、セキュリティに係るどん詰まり状態を放置しておいて、今更、外国人研究者として、トランプ大統領の進める政策に対していち日本人が反対することは、どうにもセンスの悪いことである。他国の政策についてとやかく言うことは、十分に政治的である。国内の研究機関等に所属する研究者が、他国の政策に余計な口を挟む一方で、自国の大問題である福島第一原発事故を問題視しないことは、政治的である。かつ、日本の公費を投入されている職業人としては、臆病であり、無責任である。ましてや、アメリカ(と米国籍とみなされる企業等)は、わが国の研究者に対して、各種のフェローシップを提供してきた。その恩恵を受けた研究者が発言することは、日本国内での活動実績もコミで評価されることになろうから、慎重に言葉を選ぶ必要がある(その人物は、果たして、win-winの関係のみに言及してきたのであろうか。1%のみが利する政策のみに言及してきたのではないか、という疑惑が厳然としてある。)

わが国の研究者たちは、他国への留学生の救済を言う前に、たとえば、原子力工学研究界隈で傍流に追いやられていた研究者たちの救済を、優先して指摘すべきである。徐々に、彼ら少数派の事故直後の指摘の方が、原子力政策に大きな影響を及ぼし得た多数派の事故直後の公言よりも、実像に近かったことが公に認められつつある。正確な予測をなした研究者たちの政治的な名誉の回復や経済面・制度面での救済は、まったくと言って良いほどなされていない。原子力業界(と政界・学術界)の機能の正常化を求めない研究者たちの政治センスの悪さは、最後にはわが国をハードランディングに導く原因の一つである。その理路の詳細な説明は、現今のわが国のテロ対策の根幹にも関わるので、現時点では見合わせておく。ただ、本件に関連する限りでは、留学生の母国や以前の居留先におけるヒュミントを確立できずに、留学生を受け入れよとするような意見(#どこかの医者の意見、Yahoo!個人かに掲載)は、総じて無責任であることだけを指摘しておく。持論は、別の必要とされたはずの場で、必要とされる人に伝わるように、すでに述べてあるが、要点だけを繰り返して述べる。受入国のコミュニティを丸ごと移植して、そこで安全に対する責任を育成できる見込みがなければ、移民は認めるべきでない、というのが私の(体験的な)意見である。国・言語のコミュニティを研究者コミュニティに置き換えれば、留学生の受入方針へと転用可能である。公共安全分野を含めて、そのサラダボウル内の自治を確立しないと、テロ対策が機能しうる移民政策にはならない、というのが、他国を見たときの経験則である。




2019(令和元)年05月21日追記

本記事に取り上げたモハマド・サイフラ・オザキが20日に拘束されたとの報道[1]があった。彼の受入れ体制ならびに関与した人物たちの(現時点までの)行動は、今一度、検証され批判を受けても良いと思う。


[1] 邦人死亡テロ、中心人物拘束=元立命館大准教授の男-バングラ:時事ドットコム
(2019年05月21日19時43分、ニューデリー時事名義)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052101136&g=int

〔…略…〕今年3月にシリア東部でクルド人部隊に投降し、イラク北部スレイマニヤに身柄を移された。また、一緒に行動していた日本人の妻と子供2人は空爆で死亡したという。

同容疑者は16年のテロの際、バングラデシュ国内の過激派とISとの連絡役を務めたほか、資金調達や、バングラデシュの若者をISに送り込む際の勧誘役も担った疑いがある。警察が指名手配し、行方を追っていた。

2017年2月3日金曜日

オバマ大統領は第三次世界大戦を回避した人物として記憶すべきである

 一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構 研究員の部谷直亮氏は、『プレジデント』の2017年1月30日配信の記事[1]において、バラク・オバマ氏を無人機(ドローン)を用いた「爆弾魔」であると批判している。部谷氏は、米外交問題評議会(CFR)の報告を引用し、「2016年は2万6171発、15年は2万3144発」であるとして、子ブッシュ政権よりも桁違いに多いドローン攻撃を実行したと批判する。部谷氏は、オバマ氏が国家間戦争を主導しなかったから非戦の人であると理解することは誤りであるという論旨を提起している。さらに、部谷氏は、オバマ氏のドローン使用に係る政策・発言・思考が相矛盾するとさえ批判している。

 部谷直亮氏の批判は、オバマ氏が、第三次世界大戦の回避という、よりマシな選択(the lesser of two evils)を取ったことに言及しない点で、不公正である。オバマ政権時、アメリカ軍やNATO軍を本格展開する正規戦が生じていたとすれば、どの国においてであれ、民間人を含めた全陣営の被害者数は、ミカ・ゼンコ(Micah Zenko)氏のブログ[2]に2017年1月20日に示されたような数値と比べて、二桁違いとなっていたであろう。また、部谷氏は、オバマ大統領が自らターゲットの最終選定に関与していたことを指弾するが、この選定過程は、その内容次第で、ターゲットの人数を減らす方向にも作用するものであるはずである。(後世において、この点の検証が可能であるか否かは、疑わしいものではあるが。)あり得た状態との対比を経ることなく、被害が大きいと批判することは、20世紀以降の行政組織においても見られない杜撰さである。(わが国の行政組織は、対前年比・対前年同期比が大好きである。)蛇足であるが、(反実)仮想的な状態との対比は、近年の政治学における定性的・定量的研究双方の根幹に据えられている。

部谷氏の記事は、それ自体、失当な内容ではあるが、以前の私のオバマ氏への評価を図らずも肯定する内容となっているという点では、(私にとって)有用であった。私は、(2016年11月18日)において、「シリアにおける消極策のようにバラク・オバマ氏の「チェンジ」が分かりにくい」ものであると指摘した。オバマ氏は、大統領在任時、シリアにおける正規戦へとアメリカ軍を参加させることがついになかった。この事実を、ロシアの伸張にむざむざチャンスを与えたとみるか、第三次世界大戦を回避したとみるかは、後世や同時代の人々の自由ではあるが、私は、後者の意見を断然採用する。断定的となる危険を承知で表現すると、アメリカ大統領としてのオバマ氏は、ツンデレで皮肉屋で強かであった。部谷氏は、「デスノート」を持ち出しているが、ドローン攻撃にこの喩えを用いることが不適切であることはさておくとしても、近年のわが国における漫画文化に典型的なキャラ設定を有するオバマ大統領の思考・言動・政策を理解していない。

オバマ氏は、戦争屋一味の部下に囲まれた大統領であり、その政権内では、少数派の平和志向であった。このように理解すると、オバマ氏の消極的姿勢の理由が良く理解できるようになる。ヒラリー・クリントン氏や、(最近、トランプ氏に解任された)ジョン・ブレナン(John Owen Brennan)氏に代表される戦争屋勢力のプレッシャーがかかる中、通常人ならば決定後も苦しむであろう(人を殺すことになる)政策を強いられていたものと考えることができる。もちろん、最終責任者としての責任をオバマ氏に問うことは可能であろうが、オバマ氏が選択を拒否してケネディ大統領と同じ目に遭っていた場合、後に控えているのは、シリアを発火点とする第三次世界大戦であったことを念頭に置けば、人々の考え方も和らぐというものであろう。

 このようなオバマ大統領の「功績」を考えに入れれば、部谷氏の論考がきわめて不公正であったものと自然に結論を導くことができる。共和党寄りとはいえ、戦争屋一味のシンクタンクである米外交問題評議会の報告を利用してオバマ氏をディスるとは、部谷氏も、お里が知れるというものである。今後も、トランプ氏にすり寄るかの姿勢を見せるためにオバマ氏をディスるというスタイルを用いる日本人(?)は、テンプレの如く一定比率で湧くものと思われるが、そのディテールに注意すれば、今後の国際社会の平和にとって、有益であるか有害であるかの見極めは、容易に付くものであろう。米外交問題評議会の報告も、戦争屋の懐をそれほど潤すことのなかったオバマ氏に対して汚名を着せるという「制裁」の意味合いが存在するものと考えて差し支えないであろう。この報告の意図に同調するか否かは、戦争屋であるか否かの試金石の一つであろう。

[1] さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」 (プレジデント) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170130-00021210-president-pol

[2] Politics, Power, and Preventive Action Obama's Final Drone Strike Data - Politics, Power, and Preventive Action
http://blogs.cfr.org/zenko/2017/01/20/obamas-final-drone-strike-data/

2017年1月31日火曜日

福島第一原発2号機の「メルトスルー(溶融貫通)」(メモ)

#新規記事の執筆が滞ってますが、別の作業に忙しいだけです。一応、犯罪学の範疇に含まれる作業を実施するために、自分の時間を使用しているだけです。そのほかの事情は特段にはありません。強いて付け加えるなら、ある一事を除けば、本ブログに掲載してきた記事がおおよそ正しいものであることを公開情報から確認できていますので、誤字脱字・表現の誤りを除けば、記事を修正したり追記したりする必要性がないと考えて、手抜きしている部分はあります。


昨日から今朝に至るまでのマスメディアは「溶け落ちた」核燃料が2号機の圧力容器直下で発見されたことを伝えている。今朝(2017年1月31日朝刊)の読売・朝日・日経の三紙とも、東京電力の発表を一応伝えているが、特に日経は、渋々報道している印象を否めない。日経は、3面に記事を掲載する※1が、3機の原子炉とも、原子炉格納容器内に溶融燃料が留まっているかのようなイラストを提示している。朝日新聞は、1面※2と4面※3で大々的に取り扱うが、1面のイラストは、格納容器内に依然として溶融燃料が留まっているかのように示している。読売の1面記事※4も同様である。

読売・朝日・日経の三紙とも、もちろん、溶融燃料が圧力容器や格納容器を貫通する現象を示す「メルトスルー(溶融貫通)」という用語については言及しない。「メルトダウン(炉心溶融)」という用語は、政府により確定したものとして提示された表現であるから、朝日と読売の1面記事において、ともに用いられている。メルトスルーという現象がメルトダウンという現象に包含されると主張することは可能ではあるが、事実を正しく伝えることにはならない。メルトダウン(炉心溶融)とは、格納容器内にある核燃料が、高温のために溶け落ちることである。メルトスルー(溶融貫通)とは、溶融した核燃料が圧力容器や、圧力容器の外部にある格納容器の底を高温により溶かし、穴を開けて圧力容器外に落ちることである。今回の報道は、2号機で圧力容器のメルトスルーが生じたことを示すものである。つまり、御用学者と揶揄される人物たちの事故直後の発言は、改めて誤りであることが示されたことになる。

#2017年3月8日訂正:圧力容器の外部にある格納容器をも溶かし落とす現象は、メルトアウトと呼ばれる。すっかり間違えていたので、ここに陳謝して訂正する。

この一事に接するだけでも、「アンダーコントロールにあるのは、福島第一原発事故ではなく、わが国のマスメディアである」ということが良く理解できよう。

体制側の人物が不都合な現象を呼び表すために用語を言い換えるという現象は、第二次世界大戦末期にも見られた現象である。「転進」の語は「撤退」に代わるものであるが、瀬島龍三氏が幕僚内で持論を実現するために発案したものである。この経緯は、新井喜美夫氏が『転進 瀬島龍三の「遺言」』(講談社, 2008年8月, p.140)において、瀬島氏と親しく交流した経験をふまえ、紹介している。用語の言い換えは、井沢元彦氏が『なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか』(祥伝社新書, 2012年8月)の全編にわたって「言霊信仰」として指摘するとおり、わが国では、今も、現実から目を逸らす効果をもたらすと信じられているようである。

言葉の言い換えは、話し手や聞き手の心証を変化させるかも知れないが、もちろん、現実そのものを変化させることはない。

読売1面記事のイラスト※4は、格納容器外に汚染水の存在を図示するが、この汚染水は、格納容器から漏れ出たものであろうか。格納容器の破損の有無こそは、国際社会を含め原発ムラ外部の人間が注目すべきポイントである。東京電力とマスコミは、格納容器の破損の有無について、把握しているのであろうか。把握していて隠匿しており、かつ、その事実が発覚した場合には、これらの組織は、制裁を免れないであろう。


※1「原子炉直下に堆積物/福島原発2号機/初撮影、溶融燃料か/ロボで詳細確認へ」『日本経済新聞』2017年1月31日朝刊14版3面総合2(記名なし).
※2「原子炉下 溶けた核燃料か/福島第一2号機/黒い塊撮影」『朝日新聞』2017年1月31日朝刊14版1面(富田洸平・川原千夏子).
※3「調査ロボ 来月投入へ/福島第一2号機/東電「大きな一歩」」『朝日新聞』2017年1月31日朝刊14版4面総合4(富田洸平・杉本崇).
※4「炉心直下 溶融燃料か/福島第一2号機/黒い堆積物 確認」『読売新聞』2017年1月31日朝刊14版1面(記名なし).


2017(平成29)年2月3日追記

 今朝の三紙朝刊は、いずれも2号機格納容器内の鉄製の通路に穴が開いたことを伝えている。溶融燃料は、どこまで達したのであろうか。政府発表は、1~3号機がいずれも水素爆発を起こしたとしている。水素爆発は、超高温のデブリに少量の水を掛けることにより水素が生成し、その水素が一定濃度に達した結果、生じる。「焼け石に水」の極端なバージョンである。それほどの超高温のデブリは、読売新聞の表現が読み手に示唆するかのように、鉄製の通路を溶かし伸ばしただけなのであろうか。

2016年12月25日日曜日

ブラックジャーナリストは公職に相応しい存在か

わが国では、高度成長期以後、護送船団形式による表の企業経済が躍進する影で、国際的には競争力が劣位にある企業分野における経営者、これに圧力を加えて利益を得ようとする職業右翼活動家や暴力団などが離合集散しつつ、勢力の均衡が実現されるという、合法から非合法まで連続的な位相を見せる経済界が存在してきた。その膨大な経済活動には、グレーからブラックまでのジャーナリズムが寄生してきた。表向きはジャーナリスト、探偵業、出版業、金融業などからなる業態である。彼らは、正業者と濃厚に交流しつつも、明確な棲み分けを行い、ときに警察の情報源ともなり、ときに総会屋として活動することなどを通じて、ウラ情報の表社会への還流に一役買ってきた。他方、わが国の労働組合は、このような状態に対して、鵺的な存在として機能してきたとはいえ、企業単位という性格のために、結果として、他国に見られるような犯罪組織からの強い影響免れてきた。

後世に生きる筆者の目には、当時の「黒幕」と呼ばれる大物たちは、自らの裏社会における地位を確固としたものにしていた一方で、「表社会」における公的な名誉までは求めなかった紳士に映る。あくまで黒幕と呼ばれるに相応しい節度を身に付けていたからこそ、大物と認められていたようにも見えるのである。昭和51(1976)年に明らかとなったロッキード事件によって全国区で有名となった二人の黒幕、児玉誉士夫氏と小佐野賢治氏は、この見方に該当するように見える。児玉誉士夫氏は、現時点から見れば、職業右翼と呼ばれうる存在であるし、小佐野賢治氏は、企業家でありかつフィクサーであったと言えよう。両名とも、毀誉褒貶の激しい世界に身を置いていたにもかかわらず、私には何らかの節度をわきまえていたようにも見える。当時の社会においてさえ、関係者のみならず、テレビやマスコミ報道に踊らされた無知な層を除けば、社会から憎からず思われていたと見て、間違いではないであろう。現在の視点からすれば、悪人を擁護することなどあり得ないと思われるかもしれないが、悪を自覚する者が棲み分けの重要性を自覚していたゆえにその地位に相応しい尊敬を獲得していたことを、私は指摘したいのである。おそらく、某ビジネス書が指摘するとおり、自らの影響力の範囲と実力とを一致させ、維持することは、ある人物が黒幕であろうと、後世に認められるための要件なのであろう。

ところが、両氏のような生き方を可能とした、鉄の四角形とも言うべき政官財暴の均衡は、平成3(1991)年の暴対法制定を嚆矢として、大きく変化することとなった。昭和63(1988)年のリクルート事件を始めとして、証券・金融分野を通じた「不祥事」が一部の週刊誌ジャーナリズムによって「スクープ」され、「黒幕」と呼ばれうる怪人物が活躍する余地が失われ、バブル崩壊直後に制定されたこの法律は、裏社会の空白を埋める形で官僚の統制を強化するという機能を果たした。この傾向は、平成7年のオウム真理教による(と裁判を通じて認定された)一連の事件後には、さらに強化された。バブル崩壊後の氷河期とも形容された不況を理由に、企業社会が裏社会との関係を断ち切るようになったのである。この背景には、暴対法の施行を確実なものとするために、体力のある大企業がベテラン警察官や警察官僚の天下りをより多く受け入れるようになったことが指摘できる。裏社会から官公庁へと権益が移行したのである。

その主張がいかなる動機に基づくものであるかは慎重な検証を必要とするが、この時期辺りまでのわが国裏社会の人物や組織は、法や分を弁えることを重視すると公言してきた。たとえば、「カタギには手を出さない」「違法薬物禁止」という種類の言明である。これらの言明は、縦割り主義的な結果を生じることとなり、わが国では、大学という組織は、一部の私学を除いては、これらの裏社会との接触が比較的小さなものに留まってきた。大学や学校法人は、一部を除き、左翼と見なされる組織により占拠される一方、大学に巣くう極左集団などは、一般的には、裏社会とは呼ばれなかった。もちろん、大学が純真無垢な組織であり続けてきたという訳ではない。たとえば原子力産業は、用地買収や左翼団体に利用される裏社会の強面たちと交際する必要があったし、大企業の総務部は、大企業社会において、その種の難しい業務を一手に引き受ける必要がある部門である。体育会は、このようなマッチョさを要求される分野の格好の人材供給源となったのである。このコネクションは、必要悪として、わが国社会の「大人」なら、当然視てきたものと言えよう。

1990年代におけるブラックジャーナリズムの変化を理解する上で大事なことは、顕名性がユーザに浸透していたダイヤルアップを通じたパソコン通信環境から、知識に乏しく匿名的であると誤解するユーザを多数含むインターネット掲示板へと、アングラ情報流通の舞台が変化したことである。この結果、ウラ情報は、世紀の変わり目頃には、『2ちゃんねる』に代表されるインターネット上の掲示板に書き込まれることが習いとなった。プロキシサーバを介することにより、書込主は、一定の匿名性を期待することもできたが、ときには、証券市場に重大な影響を与える情報さえ、インターネットの特徴を知らない初心者(に見える、あるいは初心者を装う)ユーザによって、(一見)不用意に書き込まれ、大々的に流通することになったのである。

わが国の「匿名掲示板」の巨人であった『2ちゃんねる』は、「匿名」との評判からか、今世紀初頭には、真偽不明の、株価に影響を与えうる内容も大量に書き込まれる掲示板となっていた。この動きには、多数の企業人までもが関与し、その関与自体が明らかになるにつれ、さらに読者を引きつけることとなった。考えの浅い投稿者がプロキシサーバを経ることなく、インサイダーや風説の流布に相当する危険のある内容を投稿するようになった。企業が自社のIPアドレスから直接その内容を把握しようとするという、現在からすればほほえましい動きも見られた。書込みや閲覧が、身元確認につながりやすい携帯電話から行われることもあった。これらの条件が組み合わさることにより、2ちゃんねるの運営者や、それに連なる人物たちは、真偽不明の内容に加えて、取得していないと主張していたログを利用して、ブラックジャーナリズムを本格展開する機会を手にしたのである。

犯罪予防の基本である、「犯罪者の認知する犯罪の機会は、ほとんど常に利用される」という教訓は、先述した環境によって、『2ちゃんねる』の展開するブラックジャーナリズムにも該当することとなった。『2ちゃんねる』は、最後にはサーバが「クラッキング」され、有料サービスの購入に利用されていたクレジットカード情報が匿名化ネットワーク上に流出したことにより、この巨大掲示板を舞台とした明らかな犯罪の痕跡が匿名化ネットワークの世界には残されることとなった。個人だけでなく、永田町に近い組織や、企業までもが情報を監視し、あるいは流通に荷担していたことが認められるようになったのである。

インターネット上の明らかな経済犯罪の痕跡を確認したとき、自ら動くことが可能な組織は、検察と証券取引委員会であるが、これらの組織は、今世紀型のブラックジャーナリズムに還流したはずの利益を十分には解明しなかった。株価操縦等が外形的に認められる痕跡から実際に立件に至った事件は、到底、『2ちゃんねる』の運営に連なる人脈の資金流通を止めるものとはならなかったのである。それどころか、この巨大掲示板を活用しつつ、巨万の富を築き上げたロスジェネ世代の怪人物たちの一部は、政界進出を目論むことさえした。この時点で、日本的サブカルチャーを装うアングラ業界の人物たちは、戦争屋に連なる政治人脈と交友関係を結ぶことにさえ成功していたのである。

政界進出及びマスコミ買収に伴う反動という形で、いわゆるライブドア事件が生じたことは、わが国において、一定の「抵抗勢力」が結果として国益を保全してきたことを逆説的に示す証拠であると言える。しかしながら、ライブドア事件を捜査した部署は、東京地検特捜部であ、同部による捜査は、とうてい不法行為の全容を解明するものとは言えないものであった。いくつかのエクストリーム自殺については、その解明がほかの凶悪事件をも解決に導きうるものであったにもかかわらず、解明が行われることなく、放置されたことを指摘できる。

検察までもが一大疑獄の可能性が強く疑われる凶悪事件を放置した結果、これらの活動に関与してきたことが十分に認められる人物たちは、多少の抵抗に遭うも、大きな発言権を日本語社会において確保することに成功し、現在に至っている。彼らが作り上げたオルタナティブな情報インフラは、現在、情報操作のためのツールとして、現政権に大いに活用されている。内閣機密費は、これらの情報操作に利用されていると指摘されている。もちろん、われわれ一般人には、その確実な証拠を掴むことは適わない。

わが国の勢力均衡状態と縦割り文化をふまえれば、「闇の紳士録」に掲載されるであろうほどに成長したこの分野の有名人たちは、現時点では、羽目を外し過ぎている。日本社会は、彼らが従来の役割、たとえば投資家として振舞う限りにおいて、従来の「ビジネス」に従事することを許容するであろう。固有の社会的役割に従事することの代償として、アングラ業界の人材は、それに見合う報酬を得てきたと言える。その地位を超える報酬(名誉や地位)を望むことは、社会によって許容されていないのである。

このような状況を鑑みるとき、この状況に責任の一端を担うはずの役職に、公職における資質を問われる人物が収まっていることは、大変興味深いことである。


参考

遠藤健太郎オフィシャルブログ » Blog Archive » ストロスカーンと中川昭一
http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post1952/

篠原尚之 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E5%B0%9A%E4%B9%8B

メンバー 東京大学 政策ビジョン研究センター
http://pari.u-tokyo.ac.jp/info/member.html


#東京大学政策ビジョン研究センターは、東京大学基本組織規則第21条の規定(全学センター)に基づき設置される研究部門であり、公共政策学連携研究部・公共政策学教育部、法学政治学研究科、経済学研究科、工学系研究科、医学系研究科を出身母体とする研究者の、いわば寄り合い所帯である。相乗効果が見られれば、わが国の行く末を決定する上で良い政策を形成可能な組織であるとは思われる。

東京大学政策ビジョン研究センター運営委員会規則
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410191.html

附則
この規則は、平成25年4月1日から施行する。
(了解事項)
1 第3条第1項第3号「前2号以外の本学専任の教授のうちから若干名」とは、5~10名とする。なお、当分の間は、公共政策学連携研究部・公共政策学教育部、法学政治学研究科、経済学研究科、工学系研究科、医学系研究科からそれぞれ1名を含む若干名とする。
2 センター教員の選考にあたっては、センター規則第2条の趣旨にのっとり広く専門研究者の意見を徴するものとする。

東京大学受託研究員受入実施要項
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07408461.html

東京大学教職員倫理規程(untitled - syuki17.pdf)
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_syuki/syuki17.pdf
(平成16年4月1日東大規則第27号)
改正平成17年3月28日東大規則第360号
改正平成18年3月30日東大規則第120号

(倫理行動規準)
第3条教職員は、本学の教職員としての誇りを持ち、かつ、その使命を自覚し、次の各号に掲げる事項をその職務に係る倫理の保持を図るために遵守すべき規準として、行動しなければならない。
(1) 教職員は、職務上知り得た情報について一部の者に対してのみ有利な取扱いをする等不当な差別的取扱いをしてはならず、常に公正な職務の執行に当たらなければならないこと。
(2) 教職員は、常に公私の別を明らかにし、いやしくもその職務や地位を自らや自らの属する組織のための私的利益のために用いてはならないこと。
(3) 教職員は、法令及び本学の諸規則により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等による疑惑や不信を招くような行為をしてはならないこと。
(4) 教職員は、職務の遂行に当たっては、公共の利益の増進を目指し、全力を挙げてこれに取り組まなければならないこと。
(5) 教職員は、勤務時間外においても、自らの行動が本学の信用に影響を与えることを常に認識して行動しなければならないこと。

小佐野賢治 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB

児玉誉士夫 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB




平成29年3月1日修正・追記

文意を損なわない程度に、読みにくい部分を修正した。追記・修正部分は淡赤色で、削除部分はコメントタグにて残してある。

本稿の修正を行うきっかけに至ったのは、遅ればせながら、昨年暮れ(2016年12月15日)に川上量生氏?が山本一郎氏を指して陰で「総会屋2.0」と呼び習わしている旨をコメントして以来、この語がバズったことをようやく知ったためである。

なお、本稿の原本は、昨年9月14日あたりに準備を終えたものである。関係各位に対する辛辣なクリスマスプレゼントとして、用意してみたものであった。「タブー抜きで」私の中では確実に正しいと思われる情報を用意する、という本ブログの趣旨に照らせば、結果として、本稿は、えらく文脈依存的なものになってしまった。もちろん、この状態を知った現在も、この状態を継続しているということ自体、入れ子構造を狙ったものに他ならないことまで、賢明な読者にはお見通しのことであろう。

閑話休題。裏社会あるいは泥棒政権(クレプトクラシー; kleptocracy)にとって、市場規模5兆円とも見込まれるカジノ(IR)産業への食込みが邪魔されないことは、ソシャゲ業界における権益確保よりも、よほど大事なことである。表の経済規模にかかわらず、効果的なマネロン対策がカジノ運営に適用されるか否かは、国際社会で日本国が独立国として長期的に生き残るための要件である。これとは逆に、マネロン装置としてカジノを悪用可能なことは、裏社会にとっての権益を意味する。現在のIR論議の下では、カジノの脆弱性、すなわち勝ち金の大きさは、従来のギャンブルシステムを大きく上回るものになることが見込まれる。この議論に立ち入らせることなくカジノの話を終息させることは、裏社会にとっての権益確保につながる。マスメディアを通じて名前の売れている人物たちから山本氏に寄せられた批判の中に、山本氏の主張するカジノの話が一つも出てこないことは、私にとって、一つのサインである。

もっとも、マネロン装置として悪用しうる余地のあるカジノという存在は、道具でしかない。誰が・どのように・いつ・誰をもてなすために・どれだけ用いるのか、が分からない限り、政治過程におけるマネロン装置としてのカジノの善悪を最終的に判定することは適わない。他方で、これを犯罪予防システムの脆弱性として観る限り、これを放置することは、マネーロンダリングに対して厳しい視線の注がれる昨今、自称先進国の一員であるわが国としては、賢明なこととはいえない。社会システムの不具合を指摘することは、私の一応の仕事の範疇なので、ここに明記しておく次第である。

組織犯罪にとっての「利益」とは、通常の営利企業において所属者が職業人として必要とされる労力を抜きに、その労力に見合う以上の不正な対価を組織が入手できることであるから、この利益の生じる機会を取り除くことは、効果的な犯罪予防対策となる。その利益=旨味は、通常の経済活動と同様、経費を差し引いて得られるものである。言い換えると、カジノの生じさせうる脆弱性も、ごく素朴な形とは言え、経済的な観点から分析可能である。カジノにおけるマネーロンダリングで必要となる経費の中で、カジノ経営から完全に独立した要素として扱うことが可能なもの、つまり、切り分け可能な存在として、ジャンケット(への請負)を挙げることができよう。彼らは、麻雀等でいう代打ち、パチンコでいう打ち子にも相当する。この存在に着目すれば、以前に言及したように、勝金の上限額を、たとえば30万円程度の、一般人にとっては大勝ちしたと思える一方で、一回だけの接待を通じて高級官僚や政治家や職業的犯罪者への賄賂とするには割に合わない金額に設定することは、有用な犯罪予防対策となりうる。

蛇足。ギャンブル機関のマネロン装置としての性能は、トランザクション(勝ち負けに伴う金銭の授受一対)の回数と、そのトランザクションごとの勝金の金額に依存する。他のギャンブル運営に比べて、カジノがマネロン装置として優れている点は、勝金の多額さにある。この点、競馬の三連単が導入された経緯や、競艇の結果が荒れがちで勝金が高額化しがちであることは、示唆的である。従来のカジノでプレイされているゲームを含め、従来のギャンブル運営を通じたマネロンでは、胴元がマネロンを感知し得ないことはあり得ない。とすれば、勝金の高額化を是とする意見は、マネロン対策の厳格化と対になって語られなければ、邪な意図の下に発せられている可能性があると勘繰ることが可能である。李下に冠を正さず、である。

蛇足2。IRで認可されるゲームの種類が従来型のようにディーラーの関与の余地が高いものとならない場合、カジノ運営企業が何らマネロンに関与しなくとも、あるいはマネロンの排除に尽力しようとも、脆弱性が生じることになる。たとえば、同じ卓の中でゼロサムとなる種類のゲーム、たとえば麻雀が認可された場合を挙げることができる。金銭の授受を発生させたい二者が同じ卓を囲み、接待麻雀を行えば良いだけだからである。カジノ事業者は、このようなゲームを導入するのであれば、このような場を提供したと非難されないために、すべてのゲームの手番を記録する必要がある。贈賄側の「手抜きの悪手」を記録する必要が生じるためである。この全手番(一回のゲームにおける全トランザクション)の記録が、割に合わない手間のように見えてしまうのは、私だけであろうか。従来型の、ディーラーの関与が決定的なものであるゲームであっても、ディーラーの公正さを示すために、全手番を記録する価値はある。ここまでの対策を実行する企業が運営するのであれば、カジノ運営は、従来型のギャンブル経営に比較して、よほど健全であるということになろう。ただ、このような記録体制自体は、勝金の高額化を無制限に許容する材料とは見做されないであろう。あくまで、他のギャンブル形態との比較を通じて、公正であると見做される程度にまで、勝金の高額化を認めるという程度に留まろう。




2017年05月15日追記

「Ken Sugar」氏(@ken_sugar)の以下のツイートが大きく引用されていたので、この点を付記するとともに、brタグのレイアウトをpタグに変更した。「Ken Sugar」氏による山本一郎氏の肩書きに対する見立ては、通常人が正しいと信ずるに十分な材料である。ただ、「Ken Sugar」氏は、本記事の本文中に示唆した内容までは、視野に含めていないようである。山本一郎氏よりも批判されるべき人物が、ほかにいる。分かりにく過ぎたかも知れないので、明記しておこう。美人局なんて、ブラックジャーナリストの典型的手法ではないか。このように指摘することが、本記事のもう一つの意図であった。

Members | Complex Risk Governance Research Unit, UTokyo Policy Alternatives Research Institute
(2017年05月15日確認)
http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/crg/en/about/members/