2017年9月30日土曜日

今回の総選挙の争点は、核武装を認めるか否か、原発を認めるか否かの二軸で分類できる(2)

本稿は、前稿(2017年9月30日)の続きのつもりである。


希望の党は自民党との連立にあたり「原発ゼロ」の放棄を通じて「アウフヘーベン」を果たす

三浦瑠麗氏のブログ記事[1]を関西弁風に直してみたというブログ記事[2]は、三浦氏の記事よりも秀逸である。三浦氏は、「消費増税先送り、原発ゼロ、憲法改正」という希望の党の政策の組合せを、「どこまでも乾いたプラグマティズム(=現実主義)」と評価している。これを、keigo氏は、「これな、組み合わせがなんかイヤらしい感じするわ。」と関西弁に訳している。この訳は、三浦氏の見解にない意図を付加しているようにも受け取れるが、希望の党の個別の政策同士に対する違和感を的確に表現している点で、三浦氏の評価よりも優秀である。

希望の党の「原発ゼロ」と「憲法改正」という組合せは、「北朝鮮の核の脅威」という「情況倫理」の下では、後者が(TPPよりも)前者を無効化する虞が高いという点において、相容れない組合せである。リベラルや安倍氏の政策に比較して、小池氏一派の政策は、いずれも、真剣に検討する必要性を感じない。選挙で主導権を握り、選挙後の連立に向けての取引材料とするという方針で説明できるからである。これを空疎な表現で言い換えると、「どこまでも乾いたプラグマティズム」となる(。プラグマティズムの用法が間違っているのは、公然の秘密というやつであろう)。この点、一応、三浦氏の解説は間違ってはいないが、表現の無駄な装飾はさておくとしても、小池氏の「止揚」に係る解説まで加えておかなければ、「この人、何も分かっていないのを小難しい言葉で誤魔化しているんではないか」と疑われても仕方がなかろう。

小池氏が今回の選挙について「アウフヘーベン(止揚または揚棄。sublation, aufheben)」の語を利用するのは、「原発ゼロ」と「憲法改正」という組合せに係る非整合性を何とかして接合する試みを指すものと解釈できる。複数の人々によってすでに指摘されているが、「止揚」の内実は、選挙後に自民党と希望の党とが連立を組む過程で、「原発ゼロ」が取引材料にされるというものであろう。逆に、連立の条件として原発ゼロを自民党が飲むとすれば、これこそは、「大どんでん返し」である。ただ、「政界渡り鳥」との異名を取った小池氏の評判を思えば、希望の党が「原発ゼロ」を放棄するというケースの方が、より現実的である。いずれにしても、「憲法改正」ではなく、なぜか、「原発ゼロ」を巡る対立軸が調整の中心に据えられるという方向性こそが「アウフヘーベン」の中身を指すものだと考えて良い。豊洲市場を巡るドタバタが良き前例となろう(。なお、本件選挙を通じて、豊洲市場カジノ転用説も実現したとすれば、それは国益上悲しいことであるが、私の悲観的な見立てがまたもや実現したことになり、痛し痒しである)。


次回に続く


[1] 虚無感の内実ー衆院選を前にした日本政治の激動 - 山猫日記
(2017年09月28日)
http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2017/09/28/105854

[2] 三浦瑠麗の小池百合子を応援できない理由を関西風にアレンジ〜自民党、希望の党、民進党、誰でもいいから保育園作って!〜
(keigo、2017年9月29日、更新2017年9月30日)
http://kosodate-mens.com/2017/09/29/post-514/


おまけ

三浦瑠麗氏のブログ記事は、段落読みできない。手抜きということであろうか、それとも、文章作法を知らないということであろうか(棒)。三浦氏は、私と同世代であるだけに、後者である可能性が高そうである。人間は、他者と比較してしまう存在である。本稿の文章作法が三浦氏のものよりも学術的であるというメタなネタを織り交ぜておいて、本稿を締めておきたい。




2017年9月30日19時修正

表現に不足があったところを追加し、淡赤色で示した。




2017年10月1日14時22分修正

次稿へのリンクを追記した。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントありがとうございます。お返事にはお時間いただくかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。