2016年11月3日木曜日

(メモ)石原慎太郎氏の「記憶にない」発言は公文書の透明性を高めるか

 豊洲市場建設の経緯に係る小池百合子都知事名による質問書に対する、10月26日時点の石原慎太郎氏の回答は、要は、「都の内部文書に当たって欲しい」というものである。これらの質問は、そもそも、日記や個人的なメモを付けていなければ、覚えていられないレベルの話であるし、日記やメモを付けていても、都の内部における決裁の詳細を日記に付けて良いものか否か、ということになろう。ただ、当人のスケジュールと面会相手の情報だけからでも、大きな話であれば、多少は思い出せるものであろうとは思うのだが。

 仮に、カジノ転用計画に石原氏が「一枚噛んでいた」とすれば、覚えていても回答しないということは、十分にあり得る話である。都の内部文書によって後追いすることも困難かも知れない。石原氏が本件を日記に付けているとすれば、松本清張氏の『黒革の手帳』の世界の話である。日記に委細漏らさずカジノ転用計画を記すなんて、石原氏らしくないように思える。もちろん、本段落の話は、仮定の話であるから、それ以上でもそれ以下でもない。

 豊洲市場は、現時点で浮上している各種の材料から見れば、当時の担当の都職員から見ても、責任者が「生贄」にされかねない種類の危険な話であることが予想できていたであろう案件である。このため、当時の市場に関与した都職員は、各人が何らかの保険を掛けているはずである。それは、石原氏の言うように、「のり弁的」ではない決裁文書に逐一記されているかも知れないし、もう少しほかの手段であるかも知れないが、空手ということはないであろう。誰でも同じ判断に至ることができるような判断を組むことは、正しい公務員としての保身術であるから、当初の学識経験者の提言を無視するからには、相応のバックアップが存在していると考えるのが、外部から見た場合の本件の評価となろう。

#念のため、本記事は、基礎ピット(または地下ピット)を設けるか否かに係る都職員の処分ではなく、カジノ転用計画を知っていたか否かという部分を想定して記したものである。直感に過ぎないが、本件基礎ピットの話は、二段底になっているはずである。


Listening:<豊洲問題>小池知事の質問・全文 / 石原氏の回答・全文 - 毎日新聞
(記名なし、2016年10月26日)
http://mainichi.jp/articles/20161026/org/00m/040/005000c

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