2017年10月11日水曜日

国際秘密力集団の「三つ巴」は二種の両建てにより構成される(2)

本稿は、前稿の続きである。


「三極化」と「二軸の両建て」は異なるメカニズムを有する

別稿(2017年9月30日)の追記(2017年10月2日訂正)において、「三極化」と「二軸の両建て」とは異なることを主張したが、この主張には、一応、根拠らしきものがある。これは、アンケート調査で「3つの選択肢から1つを選ぶ」という方法と、「それぞれ2つの選択肢を持つ設問を、2つ回答する」という方法の違いに当たる。後者については、設問の順番を入れ替えると分析結果が変わり得る(response order effect)ことが指摘されている。もっとも、この効果が確認できないとする研究も見られるようではある。ただ、政治の世界では、「朝三暮四」という故事成語が普通に用いられているし、この効果が実際に影響しているとの研究が実在する以上、これを信じた人物が政治に参画するという事態は、あるものと考えても構わないであろう。

「三極化ではなく、二次元配置」という手管が分析上厄介なものとなり得ることは、今年のノーベル経済学賞の受賞者がリチャード・セイラー氏であることにも現れている。設問の順序が効く可能性があるだけでなく、オプトイン(加入に意思の明示が必要となる制度)・オプトアウト(脱退に意思の明示が必要となる制度)の違いは、政策上、効果を有する(と選考委員会が認定したから、受賞が実現している)。投票者に対して「一番目(二番目)に重視する政策は何ですか」という質問の仕方は、現に世論調査に認められる。この考え方を進めると、AHP(Analytic Hierarchy Process、階層分析法)という方法になる。AHPは、複数の価値(安全保障、社会保障、経済、教育...)を提示して、それらを二種類ずつ、どちらがどれくらい望ましいのか比較した(一対比較という)上で、それぞれの価値について、政党や候補者を採点すれば、望ましい候補者の解が得られるという方法論である。「上位2位分の重視する価値」を尋ねることは、実のところ、さほど有用な方法ではない。ほかの価値を実現する上で有力そうな候補が脱落することになりかねないからである。それに、回答者ごとのデータを扱うことができなければ、外部者が後から分析する上で(二次分析)も問題が残る(。集計問題が生じる。それにAHPにも転用可能ではない)。

以上の考え方を一歩進めて、「取上げ方に、順位・順番あるところ、恣意性あり」と考えても、極論という訳ではない。恣意性が極力排除されているか否かは、別の話である。これは、仮想反実的な思考を重ねれば、私の言わんとするところが良く理解できるようになろう。読売新聞の与党党首インタビューは、10月5日から開始されたが、自民党、希望の党、公明党の順番であった。企画時期が立憲民主党の設立以後か否かは、微妙なところであるが、改選前議席の順番から言うと、一面、妥当であるとは主張できよう。しかしながら、これを逆順でも構わないのではと考える私は、果たして、捻くれすぎなのであろうか。希望の党も、立憲民主党も、前回の選挙において、政党としては国民から負託を受けた訳ではない。この点を考慮すれば、前回の衆議院選挙に参画した政党で、所属議員が落選した政党は、順序からすれば、先に取り上げられるべきではないか、と考えることも可能である。われわれの思考の枠組みは、ここに挙げた順番に対する検討を読売新聞社が公的には省略していることからも認められるように、案外、ユルユルなものである。結局、順番を問題とする場合、各自(ここでは、読売新聞社)が妥当と考えられる順番を明示的に言語化した上で、その是非を問うていくほかない。調べもしないままに疑問を書き連ねておくが、公職選挙法は、この辺の事情をより突っ込んで考慮したことがあるのであろうか。政見放送については、事前の抽選によるという点、間違いなくこの点を考慮しており、公正であると評価できるが、あらゆる報道が恣意性から逃れることができないという点については、考えが甘いように思われてしまうのである。


「三極化」は、経済的・個人的自由への態度によっても「二次元配置」できる

ところで、今回の選挙(2017年10月10日告示・22日執行、衆議院)の「三極化」は、ノーラン・チャート上にも配置可能である。自民党は、近年に限定すれば、個人的自由を制限するが、経済的自由を尊重するという位置付けにある。立憲・共産・社民は、個人的自由を尊重するが、明らかに経済的自由を制限する方向にある。希望は、個人的自由と経済的自由を尊重するかに見える。公明は、動機が特殊であると考えられるので、ここでは論じない。ほかの政党や無所属の立候補者については、ここまでのヒントに基づけば、相応の区分に位置付けることが容易であろうから、省略する。もっとも、希望の党の公約の曖昧さは、個人的自由に対する同党の見解について、十分な手がかりを選挙民に与えないものである。


#とりあえず、尻切れトンボの感で一杯だが、本記事は、シリーズとしては、これでおしまいであるので、次回の記事を執筆した(2017年10月24日追記)。選挙後、(遅すぎることになるとは思われるが、)書き残した点を再度追究する

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