2017年5月21日日曜日

(メモ・感想)新東京オリンピックの中止理由は何になるのであろうか

阿部潔氏は、『反東京オリンピック宣言』(2016.08)※1所収の論考[1]において、『アクション&レガシープラン 二〇一六 中間報告』を、経済負担の大きさを糊塗するものである(p.41)と同時に経済ナショナリズムを推進するものである(p.54)、過去のオリンピックに対して歴史修正主義的である(pp.44-46)、国家に奉仕するセキュリティ体制を拓く(p.50)、などの観点から批判する。阿部氏は、以下のように、中止となった四〇年大会に係る歴史修正主義を批判する。

震災からの「復興」のために計画された四〇年大会は、残念ながら国際情勢に振り回されることで実現しなかった。そのように「幻のオリンピック」の歴史が淡々と語られる。

この阿部氏の批判は、私には、2020年大会の中止の言い訳として現今の北朝鮮情勢の悪化が利用されるという可能性をあぶり出すものとして読めてしまう。もちろん、これは牽強付会である。だがしかし、国勢を軟着陸させるのに、新東京オリンピックをいかにして利用するのかを考えた場合、考え過ぎても損はない。これはマジで冗談であるが、北朝鮮は、今後、毎週末に「ミサイル発射実験」を繰り返すかも知れないのである。新東京オリンピックに先立ち極東情勢が過度に緊張することは、「国際情勢に振り回される」という点で、過去の経験と共通部分を有することになる。「幻の四〇年大会」という過去の出来事は、一種の「預言」※2となるのである。もちろん、北朝鮮を満州国の残置国家であるとする(少数)説を採用する者からすれば、この線も、十分に考えられることである。


[1] 阿部潔, (2016.08).「先取りされた未来の憂鬱 東京二〇二〇年オリンピックとレガシープラン」, 『反東京オリンピック宣言』, 小笠原博毅・山本敦久〔編〕, 航思社.


※1 同書は、それなりに多岐にわたる論点を取り扱いはするが、能力の限界からか、あるいは意図的にか、著者らに先行する陰謀論界隈のブロガーらの議論を無視したものとなっている。たとえば、阿部氏の上掲論考のうち、セキュリティ面に係る議論については、参照すべき政府資料を参照していない、とのみ指摘しておこう。このため、内容の幾分かは、既視感に溢れるものとなっている。これらの、自ら「陰謀論」という名の泥に塗れずに先人の業績を掠取しているかのような、学術上の新規性に係るかの主張は、白井聡氏の『永続敗戦論』にも見て取れる。ここではあえて、同書の先取性について、注意しながら検討すべきであると明言しておこう。

※2 陰謀論に詳しい読者であれば、スティーブ・ジャクソン・ゲームズの『Illuminati: New World Order』だけが新東京オリンピックに係る「預言」を運ぶメディアではないことを、十分ご存じのはずである。『Dying Light』というゾンビ物のFPSゲーム(2015年2月; 4gamer.netより)は、オリンピック会場を建設する途中であった、イスタンブールを想起させる隔離都市であるハランを舞台としている。




2017(平成29)年5月28日追記・訂正

まず最初に、『反東京オリンピック宣言』の表紙に、著者らによる英語の題名『The Anti-Olympic Manifesto: Against 2020 Tokyo Olympic and Paralympic』があったことに、本記事の作成後に気が付いたので、ここに指摘してお詫びする。本ブログの記事の題名は、私の下手な英語で英語話者向けに意図を要約したものになっている。このため、英語の題名が間違っていると、遠い将来、(本ブログが消されなければ、)誰かに不都合を生じるやも知れない。記事のファイル名を変えることはせず、ここで修正しておくに留めることにする。

ところで、塚原東吾氏の「災害資本主義の只中での忘却への圧力――非常事態政治と正常性バイアス」の中に、normalcyという語がウォーレン・G・ハーディング氏により新たに造られた語であるという指摘が見られるが、これは誤りである[1]。ただし、同氏の大統領選挙キャンペーンにおいて、「日常に戻ろう(Return to normalcy)」というキャッチフレーズに用いられて[2]以来、使用されるようになった[3]ことは事実のようである。ここでの私の指摘は、本質的な批判ではない。ただ、「正常性バイアス」の使い方に係る批判の前に先立ち、準備を進める中で気が付いたことなので、まずは報告しておく。

塚原氏の論考に対して指摘しておきたいことは、「正常性バイアス」の用法が間違いとは言えないが、関東以東の居住者の心性を十分に説明し尽くせないという可能性である。正常性バイアスの語は、時間軸上、災害が具体的に生じる直前までの間か、または、発災直後に対して用いられてきた。この概念は、「煙が生じているのに(皆が逃げないから)行動しない状態」や、「その土地で生まれ育ったが一度も大地震を経験していないので自宅の耐震補修・改築を行わない人物」の心性を説明するものである。日常生活を送る中で突如発生した災害に対して気持ちを切り替えることの難しさ、日常時から災害時を想起することの難しさは、「正常性バイアス」の語の対象となるが、この語は、「日常化した、五感では(ほとんど)感知できないが、厳然と存在する具体的な危険の下にある人々の心性」を十分に説明できないのではないか。原子力ムラの(エア)御用学者によって歪められ(再)生産されつつある学術上のエビデンス(のいかがわしさ)や、そのエビデンスを恣意的に選択して報道するマスコミの姿勢といった、福島第一原発事故に対する個人のリスク観の形成に影響を与える主要素を、「正常性バイアス」の語は、十分に汲み取れていないのではなかろうか。もっとも、事故の影響が致命的であるという前提を誰もが共有した世界においてであれば、正常性バイアスの語は、福島第一原発事故に対しても、使用可能であるものと考えられる。とりあえずまで。


[1] The Mavens' Word of the Day
(1999年06月25日)
https://web.archive.org/web/20060618085340/http://randomhouse.com/wotd/index.pperl?date=19990625

A fact brought up at that time was that not only was normalcy around since 1857, or before Harding was even born, but the supposedly proper normality was only a few years older, first recorded in 1849.

[2] Return to normalcy - Wikipedia
(2017年05月28日確認)
https://en.wikipedia.org/wiki/Return_to_normalcy
#ページ内の根拠に係る2つのリンクのうち、リンク切れのものは、『Internet Archive Wayback Machine』に収録済み(上記[1])。

[3] british english - In Britain the word 'normalcy' is ridiculed - English Language & Usage Stack Exchange
(2013年09月27日)
https://english.stackexchange.com/questions/129016/in-britain-the-word-normalcy-is-ridiculed

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