2017年7月11日火曜日

(メモ)浜井浩一氏の談話について

本日(2017年7月11日)の『朝日新聞』朝刊12版15面(オピニオン)「耕論/実は監視されたい?/相互不信 見張って安心感」は、龍谷大学教授の浜井浩一氏がインタビューを受けており、防犯カメラを批判している。その一部を、次に引用する。

〔...略...〕日本人には、監視されたい、監視したい、という気持ちがある〔...略...〕。

監視カメラの防犯効果について、国際的にデータを集めた研究では、駐車場での車上狙いなどはある程度減るが、それ以外の場所での窃盗や暴力犯罪には効果が認められていません。

この談話は、明らかに、本日施行のテロ等準備罪(共謀罪)への反対を表明した特集の一環である。

しかし、浜井氏の発言の元となった横断的レビュー『キャンベル共同計画刑事司法部会』の報告は、2008年版が出されており[1]、その論旨における強調点は、浜井氏の解釈とは異なる。日本語でも、静岡県立大学の津富宏氏が運営する翻訳サイトにおいて、北陸学院大学の竹中祐二氏が訳した報告書を読むことができる。なお、本家サイトでは、外国語訳を統合して掲載する動きになっているようであることを申し添えておく。

浜井氏は、この種の報告(系統的レビューに基づくメタ分析)が、常に更新される性格を有することを端から知らないか、忘れているか、無視しているかのいずれかである。2003年版の内容で確認が止まっているのであれば、朝日新聞に見るような発言になる。以前の浜井氏の発言も、同様に推移しているし、日弁連の報告書でも同様の誤りが2008年12月以降に再生産されているので、この種の怠惰は、彼のデフォルトとみることもできよう。付言しておけば、この誤りは、良心的(に情報を更新する努力を怠らないよう)な研究者には生じていない(し、さらに付言しておけば、この文は、もちろん、私自身のことを指しているものではない)。

話は、変わるようで変わらないのであるが、犯罪学を真面目に探究すると、私のような怪物(的な論調に身を委ねる言論者)が生じてしまうのが、日本国および日本語という環境※1の不都合な点である。福島第一原発事故を誠実に探究する日本語話者は、日本における不正選挙と核開発、両方の可能性を指摘する言説を認知しているはずである。気が付かなかったという釈明は、研究者としてはあり得ないレベルの軽率さである。これらの命題を是として受け入れれば、テロ等準備罪が創設された理由を含め、様々な出来事に係る因果関係の説明は、簡明なものへと変わり、テロ等準備罪の是非については、通り一遍の表現から論調が変わることになる。不正選挙と核開発という二大「陰謀論」は、大洗町における原子力機構のプルトニウム容器の破裂事故さえも説明しうる(が、依然として、このような杜撰な取扱が故意になされ、報道の契機が生まれたのか、あるいは、漫然と業務がなされた結果、思わぬ形で兵器級以上の純度のPu-239であることまでがバレたのかは、公開情報では、私には推量することができない)。日本における不正選挙と核開発、これらの命題の是非を意識せずに、テロ等準備罪を否定する犯罪学の研究者は、己の生業を深く考察したことがなかったのであろう。研究者という職業において、無知は罪である。


※1 英語話者であっても、同様の問題を抱えてしまうことになるが、日本においては、国体と特殊な自己検閲環境のために、検討には、もう一段の工夫が必要となる。しかしながら、EU諸国の一部に比べれば、検討は容易であろう。


[1] Effects of closed circuit television surveillance on crime - The Campbell Collaboration
(2017年07月11日閲覧)
https://www.campbellcollaboration.org/library/effects-of-closed-circuit-television-surveillance-on-crime.html

本レビューの結果は、CCTVが控えめながらも〔統計学的検定上〕有意な望ましい効果を犯罪に対して有することを示唆するものであり、駐車場において最も有効であり、(主として成功した駐車場での〔設置〕計画の機能によるが、)車両犯罪を対象とするとき最も有効であり、ほかの国よりも英連邦王国においてより効果的である。〔訳は筆者〕

[2] CCTV
(2017年07月11日閲覧)
http://ir.u-shizuoka-ken.ac.jp/campbell/docj/RIPE/cover/cj/CCTV.html




2017年7月11日22時追記・訂正

本文を部分的に訂正した(が、本旨には影響していないはずである)。

大洗町の原子力機構の事故にわざわざ言及したのは、(防犯あるいは監視)カメラが価値中立的に使用可能な技術であることを示唆するためである。本日の読売新聞朝刊に、この事故の続報が掲載されていたこともある[3]が、この事故については、事件の全容解明のために監視カメラが適正に利用されていないのではという疑義がすでに呈されている。事故後、茨城県による立入禁止区域の検査は、監視カメラを用いて実施されている[4]。手続上、法学にいうインカメラ審理(専門家のみが映像等を含めた事実を閉鎖的な環境で検証し、結論のみが公開で利用される)を採用するにせよ、「権力の不正を監視する」ためにもカメラが利用可能であることは、市民が広く認識すべき事実である。朝日新聞がカットしたのかも知れないが、専門家の談話とは、この事実も併せて伝達すべきものである。仮に、浜井氏が原子力機構の事故と核兵器の独自開発疑惑との関連に留意できていたならば、ここでの監視カメラ批判は、権力ばかりを利する道具と堕しているとして、より強い調子で示されていたであろう。原子力業界におけるカメラ利用は、比較的、長い歴史を有する。

原子力機構内のカメラ映像が国際的な原子力専門家の十分な検証に供されておらず、また、何を収めた容器がなぜ破裂するに至ったのかが関心ある者に理解できる形で説明されていないことは、カメラの適正利用という課題を研究する者にとって、健全な疑義を抱くに十分な材料である。このご時世、研究者は、正しい理解を聞き手に与えようとするのであれば、権力による(一部)市民の監視の実在を批判するだけでは十分でない。わが国の原子力産業を国際社会が適性に監督しようとするにあたり、監視カメラが適正に使用されていないこと、つまり、権力の恣意性に対してこそ、犯罪学者は、注意を向けさせるべきであった。「行使可能な実力に係る非対称性(を覆そうとする動きがある)」という考え方は、昨今の核武装に係る国家間関係に対しても、適用可能である。この国家間関係の下に、防犯カメラの適正利用(に係る非対称性・恣意性)という課題は、入れ子状に存在している。犯罪学(における監視という話題)にとって、わが国の核開発疑惑は、もはや、無視できない外部要件と化しているのである。

テロ等準備罪施行のため、本記事は、慎重に記述しなければならないが、それでも、監視という話題を取り扱うからには、日本国政府の核兵器開発疑惑がすでに指摘されていることを明示しておくことは、必要な作業であった。民主主義国家における理想は、構成員である国民が適切な情報の下に能動的かつ意識的に決定する、というものである。仮に、わが国が核兵器の開発・製造を秘密裏に実施・継続してきたことが事実であるとすれば、その話は、圧倒的大多数の国民にとっては初耳であろう。また、その話を初めて聞いた国民の多くにとって、日本国政府の核武装の意図は、許容されない欺瞞として受け止められたであろう。

何かと伝達されにくい状況に置かれながらも、本ブログで私の理解したところを日本語で示しておくのは、「知らなかった」という国民の言い分を可能にするような、程度の低い研究者の言説をあらかじめ否定しておくためでもある。私の言説は、本件の朝日新聞の記事に対しては、市民や学者による権力への適切な監視こそが不足していることを指摘する一つの材料として機能するものであり、現今の社会科学系の研究者の「業績」に対するハードルを上げる役割を果たすものである。ただ、わが国の核武装疑惑は、3.11以後、多くの論者が指摘するところであるから、私が本点を指摘しようがしまいが、わが国の言論を誠実に網羅しようとしている者ならば、知らないはずがない。

マスコミに名の売れた「学者」の全員が、「陰謀論」とされる話題の内容を知らないわけではない。読者に許容されるか否かは別として、「陰謀論」の内容に気が付いている学者は、その内容を注意深く避けるか、あるいはそれらの「陰謀論」と並存可能なように持論を展開している。しかし、このような腹芸は、私の文章能力では、とても無理なものである。仮に、読者が本記事の本文部分だけを読み、本追記部分で補足した内容までを了解できていたとするならば、それは、読者の情報処理能力が高いだけであろう。私がここで本点を明記しておくのは、「陰謀論」の指摘に気付いている状態とはいかなるものであるのかをパラフレーズして示すためでもあるが、それよりも、私の文章作成能力が低いためであると考えておいた方が無難であろう。


[3] 読売新聞2017年7月11日朝刊36面14版(社会)「大洗事故/被曝量200~100ミリ・シーベルト/高線量の作業員/大幅に下方修正」

[4] 原子力機構 大洗研究開発センターの燃料研究棟における作業員の身体汚染に係る立入調査結果について
(茨城県生活環境部防災・危機管理局原子力安全対策課、2017年06月08日)
http://www.pref.ibaraki.jp/seikatsukankyo/gentai/documents/170607kikouooarai_tachiiri.pdf

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