本稿は、「どの社会的地位にも犯罪に手を染める人は存在する」という前提を置いている。この仮定だけでも不愉快になる読者がいることは承知している。読者によっては不快感を覚えることを、あらかじめ警告しておく。本記事は、可能性の有無を取り扱うものであり、現実の事件を取り扱うものではない。藤岡真氏によるTOKIOの番組へのコメント(
リンク)を意識したものではあるが、ただ、本件は、別のソースを参照して記されたものであることをお断りしておく。
まとめ
本メモは、3.11の5周年に係る報道を踏まえ、ラーメンにより鼻血が出たという近年までの報告の信憑性を検証するためのものである。このような微妙な案件について、公開情報(オシント)のみから結論を確定するのは手抜きかも知れないが、これが私の作業スタイルである。手を付けられるところから始めてみるしかない。
当座の結論は、ここで検討した内容だけで「ラーメン中の放射性物質→鼻血」という因果関係を見出すことは、偶然に偶然を重ねなければできない、というものになる。ただし、有力な異説である「ペトカウ効果」は未検討であるし、現実に流通する食品の放射性物質の含有量を検討してもいない。また、スープの作成方法についても、十分な検討を加えてはいない。「偶然に偶然を重ねる」パターンとしては、横流しされた食材を恒常的に利用している一部の飲食店を、被曝量が年間100ミリシーベルトを超えた客が利用する、というものが挙げられる。このケースであれば、食べた途端に鼻血というパターンは、あり得なくもない。しかし、一発で非確率的影響を受けるまでに高濃度に凝縮されたスープという存在は、ヤミで入手した浜通り産の猪肉を煮詰めるなどしなければ、出来上がることがない。
被曝と鼻血との因果関係(メカニズム)についての既存の考察
放射性物質と鼻血自体のメカニズムについては、すでに、study2007氏による考察に対して、豊島耕一氏が検討を加えている。豊島氏は、1000[Bq/m^3]の大気の呼吸が10日間続くと鼻粘膜への(局所的な)ダメージが非確率的影響を生じる水準に達するというstudy2007氏の試算を、おおむね是認している。非確率的影響は、(一人について)年間100mSv以上の被曝により生じるものと見なされている。
福島第一原発事故 大気中の放射性ダストと鼻血(ノドの痛み)の関係について|転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ
http://ameblo.jp/study2007/entry-10925145430.html
「美味しんぼ」で描かれた鼻血の半定量的根拠 豊島耕一(元佐賀大学教授)
http://ad9.org/pdfs/publish/nosebleed.pdf
なお、非確率的影響のみをもって放射性物質の健康影響とみなすことは、特定の政治的目的を有する一部集団の主張に過ぎず、近年の大規模な比較対照群を設けた研究によって、否定されつつある。従来においても、LNT仮説(線形しきい値なし仮説)、年間100ミリシーベルト以下であっても被曝量に比例してリスクがあると考える仮説が主流であったが、少なくともこの仮説以上には、放射能は健康に悪そうであるという材料が調いつつあるのである。
高線量の牛骨がラーメンのスープの材料として利用される経路についての定性的考察
今回、「ラーメンで鼻血」問題を生じさせることになるであろうと見込まれる食材のひとつは、浜通りで生産され、殺処分・廃棄されたはずの家畜(廃棄食品)の骨部位である。殺処分・廃棄が進められたこと自体は、マスメディア等により事実として報道されている。しかし、その作業が完全であったとすることは、農水省の担当者にさえ、保証できないことである。これは一種の悪魔の証明であるため、殺処分・廃棄の完全性を否定することは不可能である。問題は、この種の不正がどのような構造で成立するのか、その際の利得がいかなるものであるのか、のあらましを把握することにある。
廃棄食品に係る不正を考えるとき、参照すべきは、「ハンナン事件」であり、その類例としての「ダイコー・みのりフーズ事件」である。いずれの事件も、廃棄処分されるはずの食品が横流しされたという構図で共通する。ハンナン事件は、BSE問題の影響を受けた同社が焼却証明書を不正に入手し、また海外からの輸入証明書を偽造して、廃棄されるはずの牛肉を再度流通させたというものであった。BSE問題とハンナン事件の後に、RFIDタグによる肉牛の管理が進んだ。現在、この流通経路の途中に、殺処分・廃棄されたはずの牛肉を紛れ込ませるという不正を行うことは、なかなか困難なことである。ただし、本記事では、最も上流の過程で不正が存在したとすれば、この不正行為に荷担する人々がいてもおかしくないだけの利潤が生じることを後述する。また、そもそもこのルートに乗らない形の食肉流通は、ルートに乗らない時点で違法行為を犯しかねないものになるが、このルートの存在を否定しきることも、難しいことである。
本件考察では、違法行為に及ぶ者がどの社会的地位にも存在するという仮定を置く。これは、犯罪社会学の知見として有名で、複数の研究により確認されているので、疑問を差し挟む必要はない。なお、北関東・福島・宮城において生産された、低度に汚染された食材による内部被曝のリスクを信じない者でも、より汚染された地域において生産された食肉が人体に影響を与えるだけの危険性を有するという命題と、それらの食肉を持ち出す不心得者がいるという命題は、個別に検討が可能なはずである。
問題は、生産者・流通業者・飲食業者のいずれかまたは複数が不正行為に及ぶ確率の大小である。ここでは、その推計は行わず、いずれかが不正行為に及べば、川下まで商品が容易く流通しうることだけを確認しておこう。「ダイコー・みのりフーズ事件」は、その事実の十分な例証になる。その端緒は、福島県沖のジャコが売れ残ったことに由来するとされている。「ダイコー・みのりフーズ事件」における違法行為は、ダイコーが主導し、みのりフーズが下請けとして追従したものであった。同事件について、関係者がいかなる形で関与したかの検討を行うことはしないが、両企業の従業員数は、合計で50名に達する。本事件は、ダイコーに業務委託した企業の従業員により、違法行為が発見されて公知のものとなった。ダイコー・みのりフーズの従業員50名は、違法行為に薄々気付きながらも、何らかの行動を起こせば、身バレするか否かを問わず、職を失うことになるために、黙認せざるを得なかったのであろう。
本記事の対象となる食肉という食品は、海産物や農産物に比べて、屠畜場の関係者を巻き込む作業となり、ハードルは格段に高い。しかしながら、屠畜作業を自前で行えるという条件があれば、(このこと自体、各種の法律に違反する状態であるが、)ここでのハードルは、むしろ不正行為に手を染める誘因として作用しうる。とはいえ、食肉生産における屠畜という段階は、なぜ、果物泥棒がいても肉牛泥棒がニュースにならないのか、という説明に利用可能であるほど、継続的に実行するには障害の多い作業である。屠畜は、内臓を傷付けずに処理する技術や、処理済みの内臓等の食品加工もしくは廃棄、冷凍室(冷凍庫)等の大型設備への投資、悪臭対策等を必要とする過程であり、DIYで行うには、あまりにも高度化した作業であると考えられる。
しかしなお、生産者・流通業者・飲食店のそれぞれで、法的制裁・社会的制裁のリスクを上回る利潤が見込める限り、三者の一名以上が生産地を偽ったり、廃棄すべき食品を横流しすることは、可能性としては避けられないことである。流通業者や飲食店が食品による内部被曝のリスクを信じなければ、風評被害により苦しむ生産者を助けることになると信じて、食材を仕入れることもあろう。リスクに対する指摘を知りつつも、以前の価格よりも安値で、しかし現在の市場価格よりも高値で買い入れることができるのであれば、現実を前提としたwin-win関係が買い手と売り手の間に形成されることになる。このとき、食材の有するリスクを認識しつつも、消費者にリスクを押しつけることが可能であると考える者が三者の中にいたとすれば、あえて「風評被害の払拭」を建前に掲げることは、ある種の必然ともなる。
事故以前よりも安値で、かつ現在の値段よりも大幅に価格を上乗せして食材を買い取り、流通業者と飲食店のそれぞれが「風評被害」により生じた価格差から現行の市場では望むべくもない利潤を得るというビジネスモデルは、十分に成立する。なお、飲食店の利潤は、上質な食材を比較的安値で入手できるために、他店に比べて優位に立つことができる(競争力を付ける)という形で得られることになる。
産直は、通常時には食の安全を担保する仕組みであるが、ここでは、かえって違法な食品を横流しを助長する可能性もある。顔が見えることは、とりもなおさず、関係を強固にすることになる。飲食業者は、取引を解消してトラブルを生じさせるよりも、顧客に対して口をつぐむ方を取るであろう。買い入れる側の担当者が食品を味見する必要がなければ、なおのこと、取引先を優先させることにもなろう。
ここで、無理筋と承知しつつ、私が思いつく中で、最も条件を整えやすい不正の形態を示そう。その手口とは、出荷可能な別の地域の牧場の関係者を抱き込み、輸送手段を確保するというものである。管理タグの非整合性は、原理的には、どうにでもなる話である。移動の届出が遅れていたことにしても良いし、あるいは、育成された牧場と登録された牧場が現実には異なるという状態でも良い。放射性物質の検査を行わない限り、肉牛は、見た目で品質が判定される。このため、育成された牧場と登録された牧場が異なるという方法は、牛の健康状態に影響が生じないという条件が成立するならば、もっとも良い偽装の方法となる。現実には、(父)牛の血統が偽装の大きな妨げとなるであろう。この難しさを割り引きつつ屠殺を恒常的に行う方法は、ハリウッド映画にあるような、屠殺職人に時間外労働をお願いするという方法くらいしか、私には思いつかない。
この不正による利益を推計してみると、最もリスクの高い作業である、出荷停止区域内から区域外への移送という作業を1回として捉えると、1回あたり2400万円というところである。福島県産牛肉は、福島第一原発事故前、高級ブランドとしての地位を確立していた。ここでは、(少なくとも、これ以上の利益があり得ることを示すため、あえて)8掛けして、価格は、一頭あたり80[万円]としておこう。平成23年7月以降、出荷停止指示のため、値が付かなかったものと考えれば、差額は80[万円/頭]である。トラック1台30頭まで輸送できるとすると、2400万円である。事故前から別の牧場に移送して養育していたことを偽装できさえすれば、関係者の間で2400万円の粗利を得ることになる。ただし、これは、殺処分が決定された直後の利益である。継続的に不正を行う場合には、通常の経費を差し引くことになるため、不正による利益に対して、あまりにもリスクが大きな作業となる。なお、平成23年11月の全日本畜産経営者協会の東電原発損害賠償手続き商系情報交換会において、全農・福島県本部は、県内の畜産農家等が統一された基準で東京電力に対する損害賠償請求を実施したことを報告しており、その資料による限り、不正を行う余地がないわけではないが、不正を行うには、ハードルの高いものとなっているように思われる。
北海道における生体牛輸送の実態調査業務(07.pdf)
http://www.hkd.mlit.go.jp/topics/toukei/chousa/h21keikaku/07.pdf
東電原発損害賠償手続き商系情報交換会の概要について|一般社団法人 全日本畜産経営者協会
http://www.alpa.or.jp/topics/20111118.html
先の段落に示した不正のあり方は、あくまでシステムとしての不備で想定されるものを挙げるに留まるものである。実例を挙げることもできなければ、これが常態化していると言うつもりもない。むしろ、ここに挙げたよりも、7月の出荷停止以前に出荷された家畜の放射性物質の蓄積状況について、検討を加えた方が良さそうである。いずれにしても、本件の追究は、これ以上の材料に不足している。ただ、一つだけ言えることは、不正の確率は、決してゼロでもないし、1でもないのである。ゼロに近い方であるとは思いたいが、賠償の遅れが不正を生んだ可能性は否定できないであろう。
どの分野の職業であれ、大多数の職業人は、外部の者を満足させる水準で、業務を遂行していることと思う。ただ、震災直後に津波被災地域に入り込み、金庫やATMを回収した窃盗犯や、立入禁止区域において侵入盗犯が(従前の)世帯あたり件数で見てもきわめて高い被害を及ぼした事実をふまえれば、不正に及ぶ人数の確率はともかく、震災という人の不幸につけ込む人物は、それなりの人数が存在すると考えて良い。なお、このように、人の不幸につけ込む悪意を指摘することは、私自身の「外部の者を満足させる水準で、業務を遂行」することになるし、また、決してその存在を肯定するわけではないが、人の不幸につけ込む窃盗犯たちも、機を逃さないという意味では、自身の業務に忠実であるということになるのであろう。
なお、ここで、最も罪が重く、かつ制裁から逃れがちな者を指摘しておくと、それは、実際に不正な流通に手を染めている者たちではなく、食品の安全性について安請負いした一部の学者である。彼らが汚染地の食材は安全であると明言してきたのであるから、生産者や流通業者は、社会における分業という仕組みからいえば、「これらの御用学者を信用した」と言い抜ければ良いことになる。実際、「薄めれば大丈夫」とも一部の御用学者は明言し、牛乳は混ぜ合わせる措置が執られているのであるから、ほかの食材と混ぜて販売することに大義が与えられたものと解釈することも可能ではある。ここから、使用自体が禁止されている食材をほかの食材と混ぜることまでは、指呼の間であり、食用が禁止された食材を流通させることも、大した違いはないものとなる。原子力業界の(エア)御用学者の発言は、犯罪行為への耐性の低い者たちに、都合の良い言い訳を与えたことになるのである。
世界の複数の国は、現在も、原産地証明書の添付をわが国からの輸出食品に求めると同時に、複数の都県の産品を輸入制限している。アメリカ合衆国は、岩手・宮城・福島・栃木の各県からの牛肉の輸入を制限している。この範囲の広げ方は、牛肉という生産物に係る政治的背景もあるものと考えた方が良いが、「後々、健康被害が生じたら困るから」という、予防措置原則に基づくものでもある。本来、予防措置原則という理屈は、わが国の食品行政にも当てはめることができる。ただ、北関東や宮城・岩手の一部にまで同様の措置を適用すると、影響を受ける農業関係者の人数が大多数になる。ここまでの理解は、マスメディアの報道にこそ上らないものの、分別のある者には共有されたものである。しかし、影響の大きさを見たときに、人によっては、問題自体から目を背けるという選択肢を選ぶことになる。私個人は、影響の大きさを、汚染地において生産された食品の流通を野放しにしたり、産地偽装を見逃すような緩い行政を放置する理由にはならないと考える。ましてや、事故を矮小化することは、主客転倒であるとも考える。なお、アメリカFDAの指示は、ほかに、鹿肉・熊肉・猪肉等についての言及が見られるものの、豚肉・鶏肉については見られない。この理由は、輸入量がほとんどないことにあると推測されるが、後の確認が必要である。
Import Alert 99-33 (
uptdate: 03/21/2016)
http://www.accessdata.fda.gov/cms_ia/importalert_621.html
わが国の社会システムは、全般的に、不正行為や犯罪に手を染める者がいるという前提を置いて構想・設計が行われることが少ない上、何より、実装後、悪意を持った人物による攻撃を想定した点検・改善のプロセスを実行するということがない。このこと自体は、人を疑わない美徳として捉えられることさえあるが、単に、システムを用意することに対して責任を有する人物たちの無知・無為・怠慢に由来するものと捉えた方が理解しやすいことも多い。
なお、廃棄すべき食材の横流しという問題を予防することは、大変に難しい。食肉については、横流しの主犯が「殺処分して埋設するのではなく、食肉処理して食べることが供養の一つである」というアニミズム的な信念の下に敢行しているという可能性も認められる。「饗応された食事を残さず頂く」という考え方は、日本人の礼儀作法の基本であり、「饗応された食事を食べ残さないことは、主人がケチだということになる」という他国の礼儀作法とは対照的なものである。「食べて応援」への同調圧力に抗することは、(普段であれば賞賛されるべき)日本的な精神風土にも原因の一端を求めることができる。動機自体が「もったいない精神」という、一般に善とみなされる内容から出発するものであるために、解決が容易なものではないのである。
魚介類については、本記事が長くなりつつあるので、別途、日を改めて検討したい。
牛骨や牛スネ肉におけるCs-137の蓄積量
3・11大震災シリーズ(71)THE 放射能 人間vs.放射線 科学はどこまで迫れるか?|NNNドキュメント|日本テレビ
http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/31171the-vs.html
【NNNドキュメント’16】THE放射能 人間vs放射線 科学はどこまで迫れるか?|じゅにあのTV視聴録
http://ameblo.jp/skyblue-junior/entry-12139795005.html
ここでは、岩手大学農学部准教授の岡田啓司氏の解説に注目する。岡田氏によれば、殺処分して埋設された牛については、血中セシ
ウム10000[Bq/kg]の牛がゴロゴロしていた、チェルノブイリでツバメの白斑が見られたために福島県の牛の白斑についても広く報道された、
3~4[μSv/h]のところでも白斑の牛が見られたという。同番組の内容の書き起こしは、上記ブログを参照されたい。
血中濃度は高いが、骨組織そのものの濃度自体は、さほど高くない。Cs-137のスープ中の濃度が高くなるには、出汁にスネ肉を用いるなど、ほかの理由が必要である。なお、猪の肉・骨を豚骨と見なして利用しているところがあるのであれば、これは十分な被曝を起こす可能性が認められるが、猪が利用されるという事実については、事実そのようなことがあるのかという検討から始める必要がある。
ラーメンのスープ生成時の濃縮モデルならびにその摂取による鼻腔への蓄積
本節は、まだまだ検討を加える必要があるので、後日修正が入る予定である。
残る要点は、煮込まれる食材における残存率、煮込むという作業における大気中への放出率、摂取時の鼻腔への到達率のそれぞれであるが、これらの段階を通じて90%以上が減じられなければ、横流しされた食材を利用したラーメンによって被曝したという主張は、成立の余地があることになる。ただし、鼻血という非確率的影響が生じたというまでに高濃度に濃縮されたスープという存在を考えることは、無理筋である。スープの材料費が高くなり過ぎる上、生成の過程で大気中に放出されるという経路などを通じて、濃縮の程度は、一定程度に抑えられるからである。なお、客自身の累積被曝量が大いに影響すると考えることもできるが、それは別建てで検討すべき話である。
煮込めば、食材の9割のCs-137は、煮汁に出る。骨髄は漉して混ぜると考えれば、とりあえず、スープ中にすべての骨髄中(およそ血中濃度と見るべきか)のCs-137が移行する。煮込むときに大気中に放出される割合は、水蒸気と同程度だと仮定して、差し湯を考慮すれば、数割程度に低下すると考えることができる。空気中への放出率が90%以上に達さなければ、10000[Bq/kg]の材料から得られたスープのCs-137濃度は、1000[Bq/l]以上は堅いことになる。
鼻腔への到達率は、何とも評価しにくいが、一口分でも鼻腔に入ったとすれば、鼻血が出る確率は、ゼロに近いかもしれないが、ゼロではなくなる。大抵、食事中には、鼻腔にもスープが入るし、セシウムはカリウムと同様の挙動をここでも行うと仮定すれば、湯気に含まれて接触することにはなる。煮込まれて摂食されるまでの間に、湯気と一緒にどの程度のCs-137が放出されるのか、胃の中に直接収まるCs-137がどれほどあるかが問題である。後は、客ごとに何口で食べたのかをモデル化するという運びにもなりそうであるし、その飲食店の客数と、それらの客の累積被曝線量にも大きく左右されることになる。
再度のまとめ
ラーメンで鼻血が出たという事実の原因を放射性物質に求める議論に対しては、今までの議論を参考にしつつ、表現を変えると、次のようになる。不法に取得した汚染食材を横流しし続けた業者が存在したのでなければ、また、飲食店がそのような食材を利用するだけの経済原理が機能しなければ、一発で非確率的影響を受けるだけのスープが作られることはない。