東京新聞:憲法解釈変更の検討経緯 法制局、公文書に残さず 集団的自衛権検証が困難に:政治(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092802000246.html
現時点で、非営利団体のインターネットアーカイブ(Internet Archive)が運営するウェブアーカイブ"Wayback Machine"に収録済みであることを確認したので、いずれは、下記リンクを参照されたい。
https://web.archive.org/web/20150928082155/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092802000246.html
現在、日本国の主権に対する隣国からの影響は、福島第一原子力発電所事故以後、結果として高まりつつある。その主たる理由は、一部国内の好戦派の言うように、隣国の活動だけに求められるのではなく、事故以降の自国政府の無策に求めることができる。福島第一原子力発電所事故は、首都を含め、国土の相当部分を汚染したにもかかわらず、除染作業は、ごく一部の限定的な地域に留まる※1。事故の収束作業と食品の生産・流通規制に関する政府の無策は、放射性物質の摂取を継続・促進し、国民の健康を大きく毀損しつづけている。対外関係は、彼我の力量を反映するのであり、わが国の実力が衰えれば、相対的に隣国からの影響が増すことは当然である。
※1 先の鬼怒川水害時の大雨により、福島県内で除染土のフレコンバッグが流出した事件に端的に示されるように、わが国のように水循環が活発な国土においては、除染作業自体、非効率的な作業となりかねない。国土をできるだけ保全するという観点からは、低汚染地域を重点的に除染すべきであったという考え方も、事故直後であれば成立しえたが、今となっては詮ないことである。
冒頭に示した東京新聞の記事は、主権を円滑に機能させるための官僚機構が破綻していることを端的に示すものである。法制局という立法機能の中枢を担う専門家が憲法もしくは公文書管理法等に規定された法の支配の下にないことを、この記事は暴露したのである。集団的自衛権の憲法解釈変更は、対外関係を不可逆に変更する作業である。権力が本格的に交代したとき、集団的自衛権の憲法解釈の変更について、政治家が結果責任を負うのは当然であろうが、その作業をサポートした官僚機構も専門家としての責任を問われる。そのときの権力は、果たして、国内の正当な手続きにより主権を有する国民により選択されたものであろうか。また、その法理論は、現在のわが国のものと同一のものであろうか。
ここで望むことは、集団的自衛権の憲法解釈変更に対して自身は消極的であったと信じる者が密かにメモを残していることである。そのメモは、現政権からの弾圧を招くが、近い将来は、その者自身の安全を担保し、真の「戦犯」を峻別する材料の一つになる。福島第一原子力発電所事故の後発的影響が出ないわけがなく、数年から数十年後の将来に日本国及び日本社会が存続しているという保証は、どこにもない。そのとき、集団的自衛権の憲法解釈変更という弥縫策に誰が賛成し、責任を持つのかが確定されていなければ、法制局の全員が連座するということも、東京裁判におけるB級及びC級戦犯の扱いに思いを致せば、十分にありうる事態なのである※2。
※2 いわゆる東京裁判などの戦後処理における裁判が事後法であるという指摘は、わが国に根強く残る指摘ではあるが、私は、ここで法議論を行うつもりは、まったくない。権力と法との関係を根本から問うた場合、ロンドン国際軍事裁判所憲章に示された罪は、事後的であると指摘すること自体は可能であるものの、敗戦国の国民が受け入れざるを得ない「けじめ」である。
私自身は、今年(平成27年)を、最悪の場合※3、目に見える危機のない昭和20年だと考えており、今後、「戦後」処理が必要になると考えている※4 。ここ数日の国際的なニュースを英語で読む限り※4、第70回国連総会におけるオバマ大統領とプーチン大統領の演説は、「がっぷり四つに組んだ」ものであり、「平成27年のヤルタ会談」が穏やかなものではないという印象を受ける。 現在のイラク、リビア、シリアに対する各国の言及は、国家間の権力闘争が熾烈であることをうかがわせる。わが国を含めたアジアについては、アメリカと中国が南シナ海について言及しているだけのように見えるが、むしろ、日本人は、原発事故のために国力を大きく減じたわが国こそが俎上の鯉である、と心得るべきである。
※3 最良の場合であっても、ベラルーシ・ウクライナ・ロシアの三か国の人口統計を見る限り、今年は、昭和17年くらいに相当する。日本が太平洋戦争後の65年間、繁栄を享受できたのは人口ボーナスに過ぎない、というエマニュエル・トッド氏の主張もある。トッド氏の主張が正しいとすれば、正しい方向に政策を切り替えなければ、たとえ戦後を迎えたとしても、わが国の従来型の繁栄を「取り戻す」ことは難しいものと考える。
※4 いつそのような事態が生じるのか、どのような経路で生じるのかの予測、(犯罪予防に係る、というより正義の実現に係る)構想については、私自身の生来の怠惰もあり、遅々として作業が進まない。
※4 英語ジャーナリズムを参照しているわけではない。インターネットは、公式情報に直接アクセス可能であるという点で、わが国における自称有識者以上の手がかりを与えてくれる媒体である。
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