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2015年10月17日土曜日

ツイッターから社会の変化を読み取るための条件

 来るべき日本社会のハードランディングを防ぐにあたり、本来、マスメディアが社会の木鐸となるところ、現時点のわが国では、この点を期待することはできない※1。他方、インターネットやSNSは、わが国においても、情報を市民が共有することのできるツールとなると一部に期待されてきた。しかし、クリフォード・ストール氏の『インターネットはからっぽの洞窟』が指摘したように、流通する情報量が急激に増加しており、(私はそうだが、おそらく大多数の)ユーザは翻弄されている。また、イーライ・パリサー氏の『閉じこもるインターネット』により指摘されたことであるが、現在のインターネットやSNSは、高度に調整された「おすすめ機能」により分節化され(segmented)運用されており、ユーザがいったん現在の情報環境に安住してしまうと、別の観点を取り入れることが大変困難なものとなる※2

 ところで、社会の変化を把握するための方法として、ツイッターで#人倒線というタグを付けているユーザがいる※3。正確な方法は知らないが、「人 倒 site:twitter.com」などでGoogle検索しているように思われる。これは、いちユーザとして取りうる手法としては、なかなかアイデアにあふれた方法であると言って良い。しかしながら、ツイートをもれなく正確に調べるためには、FirehoseというBtoB用のAPIを利用するしかなく、それ以外の方法で取りこぼしや統計的手法を用いた場合の推定値の偏りをなくすことは、まず無理である。

 APIを利用できる立場にない者がタグを用いて正確度の高い分析を行うことができるようになるには、事故以前からのユーザによる目撃証言が常にタグを付され発信されている、という前提が満たされていなければならない。それ以外の方法により、ツイート数の月間集計値の推移を収集したとしても、それらの値は、二つの点で問題含みである。第一に、その推定値は、常に過小推定である。第二に、これがより重要で解決困難な問題であるのだが、バイアスの程度が時期により異なるという点を否定できない。このため、記述統計的手法によりつつ、鉄道トラブルが急病人の増加を反映していると主張することは、方法論上は、誤りを承知で行われるべきものである※4

 別のデータによる方法として、日々提供される鉄道運行情報を利用するというものが考えられる※5。私の知る限りでは、東京メトロは、一歩先行しており、オープンデータを利用したコンテストを開催してもいる。ただし、資料による限りでは、日々、データを蓄積しているか否かは、特に示されていない。また、その点は、平成27年10月17日現在、確認していない。


※1 マスメディアの話題選択が焼き畑農業的であると言われて久しい。社会の動きに対する嗅覚、正統な批評精神、キュレーションのセンスが良質なマスメディアには要求されるが、産業保護主義(=クロスオーナーシップ、再販制度、電波法の運用等)と刹那主義(=焼き畑農業)を旨として、母語としての日本語と記者クラブ制度から情報流通経路の限定性の利益を享受する現在のわが国のマスメディアの構造は、たとえ良心的な組織人が過半数であったとしても、わが国のシステムと骨絡みとなっており、その改善は、大変に困難な課題と思われる。蛇足だが、わが国の課題は、たとえある組織が自己(についてのみ)変革を試みることが可能な状態となったとしても、システムと骨絡みであることが多いために、何ともならない、ということが大変に多いことである。法務大臣の指揮権と検察との関係を、その筆頭に挙げることができよう。

※2 虚仮の一心とは良く言ったもので、とりあえず被引用数の多い言説を冒頭に並び替えようというGoogle検索の核心は、このような、誤った「しろうと理論」(lay theory)の膨大な流布を可能とする。100万の誤ったページが1つの正確なページに優るという問題を、Google社がいかに乗り越えようとしているのか、この課題は、大変興味深いものである。

※3 一例としては、次のツイートなどを参照。
https://twitter.com/rtsu4rww4rfjwci/status/647367837607026688
https://twitter.com/serika0628/status/487952399097552897

※4 言い換えると、やるなとは言わないが、やるのであれば、色々とツッコまれることを覚悟でやるのが良い。一番良い反論は、現時点で一般人の採りうる最善の方法によるのであって、本来なら、国民(都道府県民や市町村民)の安全と健康と財産を守るのは、行政の仕事だろう?と切り返すことかもしれない。(一般人なら、それでも良いだろう。しょうがない。)正確には、分析の前提に「現時点で一般人に取り得る最善の方法であるので採用した」という主張を含めるべきかも知れない。それに対して、専門家から修正すべき点を具体的に助言された場合には、それには従うべきであろう。

※5 以下の資料が多少の参考になるかもしれない。

総務省|2020年に向けた社会全体のICT化推進に関する懇談会
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/2020_ict_kondankai/index.html
総務省|研究会等|2020年に向けた社会全体のICT化推進に関する懇談会 幹事会(第2回)配付資料
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/2020_ict_kondankai/02tsushin01_03000289.html
【資料2-8】 公共交通オープンデータ研究会の取組状況報告(公共交通オープンデータ研究会)PDF
http://www.soumu.go.jp/main_content/000339749.pdf

2015年9月30日水曜日

公文書の不存在は組織全体の連座制につながる

東京新聞:憲法解釈変更の検討経緯 法制局、公文書に残さず 集団的自衛権検証が困難に:政治(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092802000246.html

現時点で、非営利団体のインターネットアーカイブ(Internet Archive)が運営するウェブアーカイブ"Wayback Machine"に収録済みであることを確認したので、いずれは、下記リンクを参照されたい。

https://web.archive.org/web/20150928082155/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092802000246.html

現在、日本国の主権に対する隣国からの影響は、福島第一原子力発電所事故以後、結果として高まりつつある。その主たる理由は、一部国内の好戦派の言うように、隣国の活動だけに求められるのではなく、事故以降の自国政府の無策に求めることができる。福島第一原子力発電所事故は、首都を含め、国土の相当部分を汚染したにもかかわらず、除染作業は、ごく一部の限定的な地域に留まる※1。事故の収束作業と食品の生産・流通規制に関する政府の無策は、放射性物質の摂取を継続・促進し、国民の健康を大きく毀損しつづけている。対外関係は、彼我の力量を反映するのであり、わが国の実力が衰えれば、相対的に隣国からの影響が増すことは当然である。

※1 先の鬼怒川水害時の大雨により、福島県内で除染土のフレコンバッグが流出した事件に端的に示されるように、わが国のように水循環が活発な国土においては、除染作業自体、非効率的な作業となりかねない。国土をできるだけ保全するという観点からは、低汚染地域を重点的に除染すべきであったという考え方も、事故直後であれば成立しえたが、今となっては詮ないことである。

冒頭に示した東京新聞の記事は、主権を円滑に機能させるための官僚機構が破綻していることを端的に示すものである。法制局という立法機能の中枢を担う専門家が憲法もしくは公文書管理法等に規定された法の支配の下にないことを、この記事は暴露したのである。集団的自衛権の憲法解釈変更は、対外関係を不可逆に変更する作業である。権力が本格的に交代したとき、集団的自衛権の憲法解釈の変更について、政治家が結果責任を負うのは当然であろうが、その作業をサポートした官僚機構も専門家としての責任を問われる。そのときの権力は、果たして、国内の正当な手続きにより主権を有する国民により選択されたものであろうか。また、その法理論は、現在のわが国のものと同一のものであろうか。

ここで望むことは、集団的自衛権の憲法解釈変更に対して自身は消極的であったと信じる者が密かにメモを残していることである。そのメモは、現政権からの弾圧を招くが、近い将来は、その者自身の安全を担保し、真の「戦犯」を峻別する材料の一つになる。福島第一原子力発電所事故の後発的影響が出ないわけがなく、数年から数十年後の将来に日本国及び日本社会が存続しているという保証は、どこにもない。そのとき、集団的自衛権の憲法解釈変更という弥縫策に誰が賛成し、責任を持つのかが確定されていなければ、法制局の全員が連座するということも、東京裁判におけるB級及びC級戦犯の扱いに思いを致せば、十分にありうる事態なのである※2

※2 いわゆる東京裁判などの戦後処理における裁判が事後法であるという指摘は、わが国に根強く残る指摘ではあるが、私は、ここで法議論を行うつもりは、まったくない。権力と法との関係を根本から問うた場合、ロンドン国際軍事裁判所憲章に示された罪は、事後的であると指摘すること自体は可能であるものの、敗戦国の国民が受け入れざるを得ない「けじめ」である。

私自身は、今年(平成27年)を、最悪の場合※3、目に見える危機のない昭和20年だと考えており、今後、「戦後」処理が必要になると考えている※4 。ここ数日の国際的なニュースを英語で読む限り※4、第70回国連総会におけるオバマ大統領とプーチン大統領の演説は、「がっぷり四つに組んだ」ものであり、「平成27年のヤルタ会談」が穏やかなものではないという印象を受ける。 現在のイラク、リビア、シリアに対する各国の言及は、国家間の権力闘争が熾烈であることをうかがわせる。わが国を含めたアジアについては、アメリカと中国が南シナ海について言及しているだけのように見えるが、むしろ、日本人は、原発事故のために国力を大きく減じたわが国こそが俎上の鯉である、と心得るべきである。

※3 最良の場合であっても、ベラルーシ・ウクライナ・ロシアの三か国の人口統計を見る限り、今年は、昭和17年くらいに相当する。日本が太平洋戦争後の65年間、繁栄を享受できたのは人口ボーナスに過ぎない、というエマニュエル・トッド氏の主張もある。トッド氏の主張が正しいとすれば、正しい方向に政策を切り替えなければ、たとえ戦後を迎えたとしても、わが国の従来型の繁栄を「取り戻す」ことは難しいものと考える。
※4 いつそのような事態が生じるのか、どのような経路で生じるのかの予測、(犯罪予防に係る、というより正義の実現に係る)構想については、私自身の生来の怠惰もあり、遅々として作業が進まない。
※4 英語ジャーナリズムを参照しているわけではない。インターネットは、公式情報に直接アクセス可能であるという点で、わが国における自称有識者以上の手がかりを与えてくれる媒体である。