2015年12月26日土曜日

飯田泰之・田中秀臣・麻木久仁子, (2015). 『「30万人都市」が日本を救う! 中国版「ブラックマンデー」と日本経済』, 藤原書店.(メモ)

 飯田泰之・田中秀臣・麻木久仁子, (2015). 『「30万人都市」が日本を救う! 中国版「ブラックマンデー」と日本経済』, 藤原書店.の題名は、同書が人口密度や都市空間のあり方についてまで触れていないことから、都市工学を学んだ者としては、羊頭狗肉の感を覚えざるを得ない。 同書については、別稿でも批判的に触れたが、今日、ようやく、なぜ同書の題名に不満を覚えたのかを言語化できたように思うので、(個人的に嬉しくて)メモしておく。

 同書の"30万人という人口規模は、ミュージシャンになりたい若者を抱える余裕を持つものである"という趣旨の指摘には、納得できるところがあるのだが、この30万人は、いったいどのような人口密度や都市構造の下に生活するのだろうか。ハワードの田園都市構想も、周辺部にこの規模(25万?)の人口を持つ都市を配するとは述べており、直感的には正しいと訴えるものがある。しかし、ハワードは、これらの人口は、田園郊外に居住するものとして描き出した。わが国でも、首都圏近郊の郊外住宅地(田園調布や成城、川崎市北部や横浜市の周辺部における私鉄開発の住宅地等)は、このハワードの構想に起源を持つ。これに対して、同書の30万人都市のイメージは、(同国人であろう私にも)良く伝わらないのである。都市生活における生活体験が都市者という存在を生み出したことは、ベンヤミンの『パリ――十九世紀の首都』におけるパサージュ論を読めば、良く分かることである。

 また、部分の集積は、必ずしも全体とはならないが、このことは、「都市」を「居住」や「建築」とは別個のものとして考察することの意義につながる。ちょうど、デュルケムの『社会学的方法の規準』が「社会」を「個人」に外在するものとして描き出したようなものである。なお、デュルケムは、同書で「物的密度」について言及し、距離が障害とならなくなったときに初めて、社会的な関係が生じることを述べている。一般に、わが国の都市の中心部の人口密度は、他の先進諸国に比較して低い。また、全体をゲートで囲むゲーティッド・コミュニティのような、住宅地をひとつのクラスタとして際立たせるような住宅地開発というものは、なかなか成功しにくい。それは、田園調布の周辺に、都市空間としては連続的に低質の住宅地が形成されていることを見れば、納得せざるを得ないことであろう。同様に、都市を田園から区分するという行為は、わが国では明らかに失敗している。わが国の都市計画制度は、ゾーニングを基本的な道具とするが、ロードサイド地区が全国の至るところに広がる状況となっている。30万人都市の都市空間は、いったいどのような密度でどの程度の範囲に収められるものなのか、飯田氏らの同書からは、うかがうことができない。

 あえて20世紀初頭までの古典を引き合いに出し(ハワードの田園都市構想もそうである)、飯田氏らの著書を批判してみたのは、30万人がいかなる生活イメージの下に生活すれば都市的と呼びうる文化を形成することができるのか、またどのような制度設計の下に形成されるのか、という二点の実際的な課題に対する解答を用意するにあたり、同書に確固とした思想的根拠が存在しないように思われたためである。同書は、明らかに増田寛也氏らの「消滅可能性都市」の議論を受けたものであるが、増田氏らの指摘に対して、いかに都市を存続させるのか、という解答を的確に与えるものではない。



※ この文は、平成28(2015)年1月5日に追記した。同書(宮島喬訳、岩波文庫)のp.224。

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